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〈6〉



翌日、僕は授業が終わってから芝浦に行った。
越田が交際中の彼女と会うためだ。
海岸通りにある喫茶店に入ってしばらく待った。
約束の六時を少しまわって彼女は来た。
「ひさしぶりぃ〜」
彼女、山本えい子は本当になつかしそうに両手を小さく振りながら僕の前に座った。
僕達が会うのは二年ぶりになる。
僕と山本えい子は高校時代の同級生だ。
えい子は高校卒業後、短大に進み、今年卒業して芝浦にある大手のディスプレイ会社に
就職した。
越田はえい子とは高校時代から継続して現在までもつき合っている。
やや堅物的なところのある越田とは正反対で、柔らかく陽気でのんびりとしたえい子が
こんなに長く越田とつき合い続けていけるとは当初想像もしなかった。
「元気? すねかじり」
「いやいや、おたくもなかなか。 OLが地についてますな」
「はい、オフィスに華を咲かせておりますの」
わずか二年ぶりだけど二十歳を境の二年というのは女性にとって、とてつもなく自身を
変化させる年数らしい。
高校時代、明るいだけで色気などとは縁の無かったえい子が、ものの見事に着飾り装い
身体の内側から女の色香を発散させる女になっていて、僕の内なる男の不埒な思いを揺
り動かした。
「会社でどんな仕事してのる? 事務?」
「ううん、事務系じゃなくってね、企画設計室っていうところで店舗設計のための企画
 書作ったりコンセブトワークやってる」
「何だそりゃ?」
「ひらたく言うと、何処にどんなお店を作ればたくさん人が来て商品がよく売れるかを
 市場調査から推定を立てても出店計画を作る仕事。 つまり、頭ね、頭」
えい子は得意げに自分の頭をつついた。
「お店って、服屋とかレストランとか?」
「服屋って、ブティックって言ってよ。 そんなのもあるけど、もっと大きなショッピ
 ングセンターとか百貨店とかがメインね。 その他にも展示館とか博物館なんかもあ
 るよ」
「展示館ってパビリオンみたいな?」
「そう、建物のデザインから展示物の内容まで考えるよ。 造形物とかレプリカとか。
 それに、人形とかロボットなんかも企画して作ったりしてる」
「ずいぶんいろんな事やってる会社だな」
「面白いでしょ」
「君によく合ってるね」
ディスプレイ会社って聞いていたから、てっきり百貨店のショーウインドウなんかの装
飾ばかりをやってる会社だと思っていた。
「それで、ずいぶんひさしぶりに電話なんかくれて、何?」
えい子はそういいながらポーチから煙草を取り出し、火を点けた。
手慣れた動作だったし、煙草のくわえ方も年期の入った落ち着いたものに見えた。
「えーーとね」
「越田君の事でしょ」
えい子は僕に喋らせる前に遮るように言った。
「判ってんじゃない」
「あれだけニュースになってたらね」
「あれ以後、越田と会った?」
「会ってない」
「連絡は?」
「あれ以後どころか、もう一ヶ月以上も会ってないし、連絡も無い」
えい子がすこし口をとがらせた。
深夜まで飲み歩いて返ってこない夫を待つ妻の表情だ。
結婚した僕の姐がよくこんな顔をする。
「別れたのか?」
「そんな事ないんだけど、音沙汰無くなったの。 家にも帰ってないみたいだよ」
「家に帰っていない? いつから?」
「よく判らないけど、私と会わなくなった頃かららしいの」
「ふーーん」
浦賀刑事のやつ、家まで行っておきながら、僕達にはそんな事はひとことも言ってくれ
なかった。
やはり警察は信用出来ない。
「何処で何してるかは判らない訳?」
「判らない訳」
恋人にも何も言わずに失踪したっていう事か。
それまでは大学では姿を見かけていたから、全くの失踪という訳ではないのだが。
第一、僕があの集会に出たのも、その日の朝に越田から直接参加を呼びかけられたから
だったし。
家族と恋人の前からだけ姿を消していたのもおかしいけど、単にどこかに別の彼女が出
来てそこに転がり込んでいるだけとも考えられる。
「御堂君は越田君が暴れた現場にいたの?」
「いた」
「凄かったんだって?」
越田の事は当然テレビや新聞で報道されたけど、グランドピアノを持ち上げたという事
はどのメディアも報じなかった。
記者が信じなかったからだ。
ただ越田が大暴れしてピアノを演台から押し出して落っことし、何人かがその下敷きに
なったというニュアンスで流されていたのだ。
「凄いなんてもんじゃないな。 人間じゃなかった」
「なにそれ?」
「グランドピアノってあるだろ」
「知ってるわよ」
「それを持ち上げて、投げ飛ばした」
「へーー、凄いんだ」
えい子は言葉ほどには驚いた表情をしていない。
性格的に物事には動じない質なのか、それともグランドピアノの重量を甘く見積もって
いるために事態を把握出来ないでいるのか?
「グランドピアノって何キロぐらいあるか知ってる?」
「100キロくらい?」
「……200キロ越してるよ。 普通の人間が持ち上げられる重量じゃない」
「そう? えーーと、このあいだ、テレビで外人のプロレスラーが250キロのバーベル
 持ち上げるのやってたよ。 ベンチに寝てだけど」
「特別な訓練を積んだプロレスラーだろ。 体格も違うし、体重、筋肉も比較にならな
 くらい違うよ。 そのプロレスラーって大男だったろ? 越田の体重はその半分も無
 いんだぜ。 そんな事出来る訳ない」
「でも出来たんでしょ。 見てたんでしょ」
「………うん」
だから“何故?”に追っかけられているんじゃないか
「じゃ、出来るんじゃない」
「説明がつかないんだ」
「あのね、御堂君。 世の中には説明のつかない事っていっぱいあるんだよ」
「判ってるって。 でも巷で言う説明のつかない事って、どこか事態が不明瞭であいま
 いなところがあるじゃない。 そのあいまいさが何かで明白になったら感嘆に説明の
 つく事ばかりだと思うんだ。 けど、越田の場合はさ、どこにも隠しどころが無い。
 それでいて説明がつかない」
「そうかなあ。 グランドピアノ持ち上げるって、そんなに大変な事?」
えい子はまったく事態が飲み込めていない。
僕はもっと大驚きの図か、宣子みたいに好奇心むき出しににしてくるかを想像していた
だけに拍子が抜けた。
「医者の卵が言ってた。 不可能だって。 人間の身体はそんなふうには出来ていない
 そうだ」
「でも、火事場の馬鹿力ってあるじゃない?」
だいたいみんな思う事は同じらしい。
僕は中浜から聞いた事を判りやすい言葉でえい子に話した。
「ふーーん、そんなものなの。 あれってもっと凄い力が出るのかと思ってた」
「僕もそう思ってたんだけどね」
「それならやっぱりあれじゃない。 越田君は超能力者だったんだ。 念動力でピアノ
 を持ち上げたんだ」
「可能性としては、それもあるかな」
まあこれも、みんな同じ事を考えるんだろうけど。
「そんな事あり得ないって思ってるでしょ」
「ありえないとは思ってないけど、やっぱり実証されたものじゃないと納得出来ないん
 だよね」
僕自身、頭が堅いのかもしれないけれど、物理的に原理が解明されない事には納得出来
ないところがある。
でなければ、どこまで行っても空想の世界だからだ。
「御堂君、昔こっくりさんってやらなかった?」
「十円玉で運勢占うやつか」
「それもあるけど。 指で人を持ち上げるの」
「何それ?」
「四人でやるんだけどね。 椅子にひとりが座って、その両側と後ろに三人がひざまず
 いて、両手を会わせて人差し指を二本立てて、『こっくりさん、こっくりさん、どう
 かこの場においで下さい。 この子を宙に浮かせて下さい』って唱えるの。 そして
 三人が合わせた人差し指をそれぞれ椅子の座板の下に入れて、そのまま軽く持ち上げ
 たら、あら不思議っ、力を入れなくても人が座ったままの椅子がふわって持ち上がる
 のよ」
「まさか」
「本当なんだって。 何度もやってるんだから」
「おまじない唱えたら、いつも出来る訳?」
「いつもって訳じゃないけど、三回に一回くらいは出来るよ」
「おまじない唱えなかったら?」
「絶対に出来ない」
「うーーーん」
これはどういう事だろう?
椅子に座った人間ひとりの体重を50キロとして、それを三人で持ち上げれば重量分配が
あり、ひとり17キロ弱だから、決して無理な重さじゃない。
「力を入れなくってもって、どのくらい入れないの?」
「だから本当に全く力を入れないの。 こう、こんな感じで、ただ指を上げるだけ」
女の子の力で17キロといえば決して軽いものじゃない。 力を入れても指先だけで挙
げれるものじゃないだろう。
ましてや力を入れないでってどういう事だ? 
おまじないで自己催眠にかけて心理的限界を取り払うという事か?
「こっくりさんだって正体は解明されてないけど、実際に出来るんだから、それと同じ
 事で、もしかしたら越田君だって『こっくりさん、こっくりさん』って唱えながらグ
 ランドピアノ持ち上げたのかもしれないよ」
「…………」
なんとも答えようがない。
もしそんな事が本当に起こるのなら、中浜の講釈や物理や化学の実証はどうなってしま
うんだ?
「考えられない事じゃないけど……。 それは置いといて、聞きたい事がある」
「本題ね」
「ああ、あの、ちょっと聞きにくい事なんだけどさ」
「何?」
えい子の目に少し好奇の光が宿った。
「あの……越田と寝た事ある?」
「なに、いきなり。 随分プライバシーに踏み込んだ質問ね」
「すけべ心で聞いてるんじゃなくてさ、あの、越田の身体の事で聞きたいんだ」
「判ってるよ。 どう答えたらいいんだろ」
「越田の身体って、特に変わったところって無かった?」
「例えば、どういう?」
「細かったけど、筋肉が異常に発達していたとか、身体に何らかの手術跡があったとか」
「うーーん、見た目は普通だよ。 そんなに筋肉筋肉してなかったし、力も強くなかった
 し。 私は他の男の人の身体ってそんなに知らないから比較のしようがないし……御堂
 君、身体見せて触らせてくれる?」
「見せ合って触らせ合ってならいいけど」
「すけべ心あるんじゃない」
「まあ、それは置いといて、手術痕は?」
「無かった。 どうして?」
「サイボーグ手術を受けたとか、筋肉を別のものと入れ替える手術を受けたとかさ」
僕はSFだ空想だと言われようが、その可能性も捨てていない。
現代医学において臓器移植が可能な事は筋肉移植が出来ても不思議ではないからだ。
「それ、言えてるね。 身体の半分機械と入れ替えてたりとか心臓を原子力エンジンに換
 えてたりしたらグランドピアノ持ち上げるのも簡単だからね」
どうもえい子はへんなところで話に乗ってくるところがあるようだ。
「でも、そんな手術跡は無かったよ。 でもでも、美容整形で手術跡なんかは消せるし」
「そうか」
「うーーーん、と、そういえば……」
えい子は何か思い出したように目線を宙に浮かせて記憶をまさぐる仕草をした。
「身体の事じゃないんだけどね。 私と会わなくなる半年くらい前から、よく変な薬を飲
 んでいたよ」
「薬っ! どんな?」
僕の頭にドーピングが走った。
「アンプルに入ってた飲み薬でね、よく食事の後に飲んでた」
「何の薬だって言ってた?」
「ビタミン剤だって言ってたけど、おかしいのよ。 ラベルも何も貼ってないアンプルで
 それを飲むとしばらくの間、越田君の身体がかっと熱くなるの。 手足の筋肉なんかが
 ぶるぶる震えてくる時もあったし」
「興奮剤みたいな感じだったかな?」
「どうかな? 私はお酒じゃないかと思ってた。 目が酔ったみたいになったから」
「……酒??」
酒を飲みたければ堂々と飲めばいい事で、わざわざアンプルに入れて飲んだりはしないだ
ろう。
酒だとは思えない。
ビタミン剤とも思えない。
筋力増強剤か。
中浜の話だとドーピングに使う薬は大部分が一時的な興奮による一時的な筋力アップだ。
しかし、もし長期にわたって服用する事で人間の筋肉や体質を根本的に作り替えてしまう
ものであるとすれば、越田の薬服用は考えられる。
「その薬を飲み出す前と後で越田が変わったところって無かった?」
「とりたてて変わったところは………そうだな、時々身体中が引きつるように痛いって言
 った事あった」
「身体中が痛い?」
その薬で身体の細胞組織が異常発達とか変換が起こったからなんだろうか?
「その時はどこか身体の具合が悪くて、それで薬飲んでるのかと思った」
「どこか悪いところがあるって言ってた?」
「何も」
「その薬はいつも持ってた?」
「それは判らないけど。 よく見たよ」
「どこで手に入れてたとかは?」
「聞かなかった。 ……そうね、越田君、その頃から何とかいう記念館の取り壊しに反対
 するんだって言ってて、その反対派の人達とよく一緒にいるようになって、その中の人
 が医学部の人だって言ってたから、もしかしたら、その人からもらってたんじゃないか
 な」
「医学部? 名前は?」
「なんて言ってたかな? えーーと、おく、なんとか」
「奥村!」
「そう、奥村って言ってた」
越田が最近よくつき合っているやつ。
「なるほどね」
「やっぱりあの薬が怪力の素なのかなあ」
怪力の素っていう言い方もおかしいけど、もし、その薬が越田を超人にしたのなら、じつ
によく言い得ている。
「やっぱり本人に聞いてみないと判らないね」
「本当、どこに行ったのかなあ。 やっぱり警察から隠れてる訳?」
「たぶんね」
「捕まったらどうなるの?」
「障害事件だからね。 裁判にかけられて有罪になったら懲役」
「それも大変だね」
えい子はそう言ったけど、表情は言葉ほどにも沈んだところは無い。
もしかしたら、ふたりはもう冷めてしまっているのかもしれないと思った。
「越田の行方に心当たり、無い?」
「全然。 あったら私が先に連絡取ってる」
「もしさ、越田から連絡あったり、居場所判ったら、僕に知らせてくれない?」
「越田君を捜したいの?」
「ああ」
「掴まえるため? それとも、逃がすため?」
えい子の顔が急にきつくなった。
「友達だからさ。 それに、どうしていきなり超人になり得たのか、知りたい」
「どうして?」
「男なら誰だって超人願望を持ってるさ」
「そんなもんなのかな」
えい子は目を落とした。
なんだかため息をついたようにも見えたし、恋人が警察に追われる身になっているという
のも心を重くしたのだろう。
話はここまでだなと思ったけど、二年ぶりに合ったえい子と、なんだかもう少し話しがし
たいとも思った。
そのままえい子を食事に誘い、上野に出て、よく行く焼鳥屋に行った。
焼き鳥と煮込みを食べ、ビールをしこたま飲み、高校時代の話に花を咲かせた。
僕も酔ったけど、えい子もしたたか酔ってしまい、結局僕がえい子を家まで送り届けなけ
ればならなくなった。
帰りの電車の中で、僕にもたれかかったえい子は、
「200キロ……300キロ……」
と何度かつぶやいた。
僕は何を言っているのか判らなかったし、酔っていたので、いい加減に聞き流した。


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憂想堂
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