一晩、僕は車の中でまんじりともしないで過ごした。
目が覚めたのは午後五時前だった。
新宿から田町まで山手線でもみくちゃにされながら移動した。
夜明けとともに、車のオーナーが来る前にそこを抜けだし、朝の街に出た。
警官の姿は見えない。
駅で朝刊を買って広げてみる。
中浜の事が出ていた。
“広都大生、覚醒剤によるショック死”
と書いてある。
内容は、中浜の死因は許容量をはるかに超える濃度の覚醒剤を一度に注射した事が原因に
よるショック死、という事になっていて、中浜はそれを自分で打ったのではなく、打った
と思われる友人A、つまり僕、が行方をくらませているので、重要参考人として捜索中で
ある、という事だ。
僕の名前は出ていない。
どういうつもりで名前を伏せているのかは判らない。
名前を出す事によって僕を保護しようという一派が出てくるのを恐れているのかもしれな
い。
もしそうだとすれば、僕は取り壊し派に救いを求めるべきなのだろうか。
いや、それも判らない。
取り壊し派が超人伝説を追っているなんていう事は僕が勝手にそう仮定しているだけの事
だ。
もしそうでなければ反対に警察に突き出されるのがオチだし、超人伝説を詳しく説明した
ところで信じてもらえるかどうかも判らない。
南教授の格下書類があればいいのだけれど、今の状況ではそれを捜し出すのは不可能だ。
そしたら、どうする………。
僕は新聞を丸め、ラッシュアワーに紛れて電車に乗り、新宿に出た。
ハンバーガーショップでバーガーとコーラを買い込み、朝九時から開館している映画館に
入った。
観客はまばらだ。
スクリーンでは女優が裸であえいでいる。
僕は中央部の籍に座り、ハンバーガーをほおばり、すぐにそのまま寝てしまった。
結構客席はいっぱいになっていて、スクリーンではあいかわらず女の子の白い裸身が泳い
でいた。
僕は映画館を出てすぐに電話をかけた。
蟻村工藝社へだ。
「はい、山本です」
「御堂だけど」
「あ、ああ……御堂君?」
「今から会える?」
「え? ……うん」
「知ってるだろ、僕の仲間の中浜ってやつの事」
「………うん」
「その事も含めて話したいし」
「うん」
「今から田町まで行く。 六時に海岸通りの、ほら、このあいだ行った喫茶店」
「ロアジール?」
「そう、そこ」
「うん、いいよ」
「それじゃ」
電話を切って、まわりを見ながらその場を離れた。
えい子はたぶんまだ警察からはマークされていないと思うが、注意深くまわりに気を配り
ながら田町から海岸通りまで歩く。
ロアジールに入るとえい子はもう来ていた。
僕はビールを頼んだ。
「御堂君、新聞見たけど……」
「えらい事になってるんだ」
「まさか、御堂君が?」
「違うよ。 信じてって行っても、あの新聞記事読んだんじゃ信じにくいだろうけど」
「名前は出てなかったよ」
「今の状況じゃ警察もまだ名前は出しにくいんだろ。 けど事態は深刻だ」
「どういう事?」
「あのね……」
僕はたっぷりと時間をかけて、越田が最初に超人化したところから順序立てて、判りやす
く、仮定、仮説も盛り込んだ上で話しをした。
そして、今、自分が置かれている状況も。
「……そんな事ってあるの」
「国家がその気になれば殺人犯のでっちあげなんて簡単なものなんだ。 連中を甘く見過
ぎていた」
「それも怖いけど、戦時中の生体実験が本当におこなわれていて、それが今まで全く誰に
も知られずに隠されていたのがもっと怖いね。 アウシュビッツだった関東軍の細菌部
隊だって世界中に知られているのに」
「国が必死になって守ったんだ。 南教授の証拠隠滅も完璧だったんだろ。 ただひとつ
壱岐教授を生かしておいたのを除いては」
壱岐教授だけは誤算だった。
当時の研究生だった壱岐久仁をも殺しておけば超人伝説なんてのも残らなかっただろうし
東口選手がドーピングで陸連から永久追される事もなかった。
そして、六道記念館の取り壊しにかこつけて政治家同士の争いなんかも起こらなかった。
越田も中浜も死なずにすんだ。
南宗一郎のほんの気まぐれな仏心のおかげで戦後六十年も経ってこの騒ぎだ。
……いや、もしかしたら南教授は終戦時には状況として秘密を守り抜かなければならなか
ったけれど、自身の本意とすれば、本当は公開してしまいたかったんじゃないだろうか。
完成していたとれば歴史に名の残る偉大なる研究だったのだから。
自身は死ななければならなかったのに、研究成果を持ち出してのうのうと戦後を暮らして
いる、そういう連中に後年一泡吹かせてやるためのタイムトラップをしかけたのではなか
ったか?
それが壱岐教授だった。
「でも、それを知っている政治家がもみ消し工作するなんて腹が立つね」
「おかげで僕は殺人犯の汚名を着せられている」
「………知らなかった」
「え?」
「ううん、何でもない」
「で、おたくの会社の社長の事なんだけど」
「蟻村社長?」
「そ、蟻村栄一。 つながっているんだよ、何やかやと。 知ってた? 中根信広と蟻村
栄一は広都大で同期だったって」
「知らなかった」
「このあいだ、保存派の長の野上教授が宣子ら向かって『アリムラか』って叫んでた。
野上教授は蟻村栄一が超人伝説に何らかの形で絡んでいる事を知っているんだ。 だか
らあんな場所で名前が出た」
「でも、うちの社長は医学部卒じゃないし、超人に絡んだような話なんて無いよ」
えい子は頭の中で諳んじるように答えた。
「でも、どこかで絡んでるんだ。 宣子の兄さんがおたくの社員だろ」
「企画室長」
「きっとそのへんが絡んでいるんだ。 でなきゃ、いきなり宣子が超人化したりしない。
僕の独断的な考えなんだけど、もしかしたら蟻村栄一は終戦まぎわに薬研から研究書類
を持ち出した将校その人じゃないかと思うんだ。 その蟻村を盟友の中根が守るために
保存派に肩入れした、と考えられるだろ。 それだけで収まっていれば良かったんだけ
ど、それに宣子の兄さんが気が付いた。 いや、もしかしたらその兄もその一味だった
のかもしれない。 それに宣子が気が付いた」
喋りながら出てきた結論だけど、その可能性は高いのではないか?
えい子は聞きながら手を顎に当てて目を伏せたままでいる。
考え込んでいるのか?
えい子も重要なキーマンである可能性は高い。
蟻村工藝社の社員であり、宣子の兄の部下、そして越田の彼女だった。
これだけの輪がきれいに出来上がっていて何も知らないなんて事は返っておかしい。
「教えてほしい。 宣子の兄さんの事、蟻村栄一の事、越田の本当の事」
「……うん、でも、私は本当に知らなかったし………」
「宣子は越田が死んだ日に、おたくの会社に訪ねて来なかった? 兄さんに会いにか、社
長に会いに」
「社長が広都大卒だっていうのは知ってたけど、だからうたの会社には学閥があって広都
大卒がすごく優位なのよね。 でも建築科卒が多くて、元総理の中根さんは政治家でし
ょ、つながりが判らないし、それに、私は山崎さんの妹さんとは会ってないし」
えい子は俯きながら喋っている。
何か知っているか心当たりがあるに違いない。
「それじゃ、宣子の兄さんに会わせてくれない。 直接話してみたいし」
「え? でも、どうかな。 まだ会社にはいると思うけど」
「お願い。 僕が直接行ってもいいんだけど、君から紹介してもらった方が話しやすいし
さ」
宣子が直接かぎつけたと同じコースをたどってみたい。
警察が僕を追いかけている以上、残された時間は短い。
「うん……ちょって待ってて
えい子はそう言ってテーブルを離れた。
トイレに行っていたみたいで、すぐに戻ってきた。
カウンターに寄ったらしく新しいビールを二本持っている。
「紹介するけど、その前に私ももう少し飲みたいから、この一本だけつきあって」
えい子はそのうちの一本を僕のグラスについだ。
僕は少しまわった状態だったけど、勢いがついていたし、いよいよ大詰めだって事で気が
張っていたので、そのまま一気に空けた。