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〈1〉



<プロローグ>

時として人は見果てぬ夢を追い求め、現実にかなえようとする。
しかし所詮は夢物語であり、幻想に終わるものである。
夢は希望。 夢は裏切り。 そして夢は誘惑。
叶えたとして、現実に具現化した夢は脆く、現実までも破壊する。
それでもなお、夢はを追い求めずにはいられない。
翼を折り、落ちてしまったイカロスのように。

 <1>

今、僕の目の前で信じられない事が起こっていた。
混乱と興奮に包まれた六道記念館の演台で、およそプロレスラーでも無理であろうと
思われるグランドピアノを青白い痩せ形の男がたったひとりで持ち上げたのだ。
それはまったく知らない男じゃない。
僕の高校時代からの友人、越田隆一だ。
越田の身長は170センチ無い。
体重も60キロくらいだろう。
とりたててスポーツをしていた男じゃなく、どちらかと言えば貧相な躍動感の無い男
なのだ。
その越田がグランドピアノを肩越しに担ぎ上げ、そして目よりも高く差し上げたのだ。
騒然とした群衆の前で!

広都大学構内にある六道記念館は築後80年が過ぎ、老朽化していた。
それに伴い、昨年より記念館を全面的に取り壊し、新たに近代的な建築様式と設備を
持った新築の建物に建て替えようという計画が立てられたが、その構想が発表される
やいなや、新築建て替えに猛反対する一派が出てきた。
六道記念館は日本建築史上まれにみる雄壮優美なバロック調の建物であり、今や姿を
消しつつある大正時代の洋装建築のひとつである。
それを取り壊し、無味乾燥した現代建築に建て替えるなどという事は日本の建築遺産
の重大な損失であり、重要文化財の損失に匹敵する。
現代の構造本位の建築物が失っている美術的価値を持った建築物であるのだから文化
的に見ても決して取り壊すべきではない。
ここは老朽化した部分の調査をし、部分補修と補強をおこない、このままの形で保存
しておくべきだという保存派だ。

保存派は医学部の野上福正教授を中心とする広都大教授会のメンバーで結成され、そ
こに文化系の学生達のグループが加わった。
一派は六道記念館取り壊し計画の撤廃を求め大学側に迫ったが、広都大学長角沢幾匡
はその要求を聞き入れず理事会メンバー達と共に強硬に取り壊し計画を推し進めた。
それではいそうですかと引き下がる保存派ではなく、校内アジを繰り返し、ビラを配
り、集会を開いては一般学生達に保存運動への参加を呼びかけ、さらに大きな一派と
して大学側に取り壊し計画の白紙撤回を求めたのである。

しかし反面、老朽化した建物をいつまでも使用するのは時代遅れであり、なにより危
険であるという取り壊し派も急増し、ここに広都大学を二分する対立が出来上がった
のである。

そしてこの日、保存派と取り壊し派の対立討論会が一般学生を集めて六道記念館の講
堂でおこなわれている最中だったのだ。

討論が白熱し、エキサイトした取り壊し派の体育会系学生達が保存派の学生達蹴散ら
し、集会潰しにかかった。
講堂内は騒然とし、罵声と悲鳴が飛び交い、椅子やテーブルが乱れ飛んだ。

その時、演台に建って弁舌をしていたのが越田隆一だった。
越田は演台上からマイクで体育会系学生達の退場を叫び、彼らの講堂を大声で非難し
たが、そこへ柔道部か相撲部あたりの巨漢学生が数名飛び上がり、小柄な越田に掴み
かかろうとした。
ノンポリテクスとしてどちらの派にもつかず、無責任な傍観者としてその場に居合わ
せ、演台上を見ていた僕は思わず目をつぶった。
青白い越田が巨漢学生達に派手に投げ飛ばされるかその場にねじ伏せられるだろうと
思ったからだ。
ところが、ギャッという悲鳴と共に、およそ4〜5メートルも弾き飛ばされ、演台下
に叩きつけられたのは越田ではなく、掴みかかりに行った巨漢学生のひとりだった。

僕には一瞬何が起こったのか判らなかった。
しかし、次の瞬間には僕の目は大きく見開かれたままになった。
越田は一緒に掴みかかった地の巨漢をその場にねじふせ、もうひとりの巨漢の胸ぐら
を掴み目よりも高く差し上げた。
そしてそのまま、まるでわら人形でも投げるかのように、混乱している演台下にいと
も簡単に投げ捨てた!
場内は一瞬、水を打たれたように静まり返った。

僕と越田は同級ではなかったが同じ大学に進むという事で馬が合い、わりと親しいつ
きあいをしている。
その越田があんな怪力の持ち主だったとは知らなかった。
僕の知らないところで本格的な格技をやったていのか、と思ったぐらいだ。
が、その次に起こった事を見るに至って、そんな思いも吹き飛んだ。
演台上で起こった事はそんな常識的な事を越えていたからだった。
巨漢学生が投げ飛ばされたさらといってひるまなかった多他の学生達がさらに演台
上に駆け上がろうとした時、越田は演台袖に置いてあったグランドピアノを持ち上
げたのだ。

いくら巨漢とはいえ、人間の体重なんてたかが知れている。
柔道かなにか格技の修行を積んだ者であるならいくら細くても投げ飛ばす事は可能
だ。
しかし、グランドピアノとなると話は違う。
人間ひとりの力で持ち上がる限界を超えているのだ。
例え重量挙げのオリクピックゴールドメダリストであっても怪力プロレスラーであ
っても今越田が持ち上げているような持ち方でグランドピアノを頭上に振りかざす
なんて絶対に無理である。
不可能なのだ
しかし、今根の前でその不可能が起こっている!!

越田はそのまま演台中央に戻り、今まさに演台上に駆け上がろうとしていた学生達
の上に頭上にかざしたグランドピアノを投げ落としたっ!
グランドピアノが3メートルも宙を飛んだのだ。
驚いた学生達し瞬時に身をかわしたが、二人ほど逃げ遅れ、落下するグランドピア
ノに弾き飛ばされ、その上に豪快な破壊音と鍵盤の音を混合させて落下し、ピアノ
が砕け散った!
下敷きになったふたりは血反吐を吐いた。

場内は静まり、凍り付いたままだったが、越田がマイクを持ち、
「帰れっ!」
と一声怒鳴ったのをきっかけに保存派の気勢が上がり、取り壊し派は先を争うよう
に逃げ散った。

そして越田はその日から姿を消した。


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憂想堂
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