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〈10〉



僕と宣子は目撃者であり、当事者であり、越田の関係者であるとして、警察署まで引っ張
られ、調書を取られた。
一応、任意同行という事だったが、うむを言わせぬ引っ張り方で、僕と宣子は別々の部屋
で個別に調書を取られるという、容疑者に近い扱いを受け、いささか頭に来た。
目撃者として見た事実以外、いっさい喋らず、越田との関係も知らぬ存ぜぬで押し通し、
係官を困らせているところに、浦賀刑事が息を切らせて駆け込んで来た。
「越田が現れたって?!」
「越田刑事、お疲れさまです。 こいつらが越田と接触しようとしていましたので同行さ
 せました」
係官が敬礼をしながら報告する。
こいつらと比べて浦賀刑事はかなり上司のような態度だ。
「接触って、僕は呼び出されただけだって言ってるでしょ」
「黙れっ」
係官は高圧的な態度で、職務を執行しているところを上司にアピールしているかのような
物言いをした。
「黙れって。 あのね、僕は容疑者でも被疑者でもなんでもないんだぜ。 あくまで任意
 で協力しているだけなんだからね。 思い違いはやめてもらいたいですね」
浦賀刑事が来た事だし、この下っ端が、という態度で言い返してやった。
「何っ」
調書を取っていた若い警察官は青筋立てて怒りだした。
けど、怒るってのはお門違いだ。
立場をわきまえていないのはあんたの方なんだから。
「まあまあ、いいから」
浦賀刑事がなだめに入った。
「御堂君、越田に会ったって?」
「まともに話も出来ませんでしたけどね」
「どういう事だい?」
そう言って浦賀刑事は若い警察官の書いた調書を取り上げて読んだ。
概略はそれで判る。
「なるほどなあ。 現場を見てみないと判らないけど、この通りだったとしたら、もうほと
 んど化け物だな、越田ってのは」
「現場見てないって、どこに言ってたんです?」
「朝から大阪に行ってた。 出張だよ」
「壱岐教授のところ?」
「うん……まあ」
「どうでした?」
「まあ、それは後で。 とにかく、もう少し詳しく話し聞かせてよ。 あ、君、こっちの
 応接室使うから 」
浦賀刑事は怪訝な顔をしている若い警察官を後目に、僕と、別の部屋で調書を取られていた
宣子を一緒に刑事課の応接室に招き入れた。

「不愉快だわっ」
いきなりの取り調べに、宣子もおかんむりになっている。
「いや、ごめんごめん。 僕がいたらこんな事はさせなかったんだけど。 ま、これも警察
 の仕事だから」
「大義名分があればなんでもありですか」
「もっと謙虚にしなきゃとは思っているんだけどね。 それは置いといて、御堂君」
「は?」
さすが上司だけあって、さっそくペースを作ってきた。
「昨晩、越田から君に電話がかかってきた時、会いたいって事以外に何か話さなかった?」
「いいえ。 時間と場所を指定するだけで、すぐに切られてしまいましたね」
浦賀刑事は僕の表情の変化を見逃すまいとしている。
ずっと目が合ったままなので息苦しい。
「じゃ、会ってからは?」
さっきの取り調べでは、僕は越田とは何も話していないで通していた。
宣子が何か話していないだろうかと気になってけれど、ここで宣子の顔を見ると、変にかん
ぐられそうなので、目線は動かさなかった。
「わざわざ電話で呼び出したって事は、何か話したい事があっての事なんだよね、越田が。
 だから、何も話していない筈ないんだ」
「あの力を見せつける為だけだったのかもしれませんよ。 話すだけなら電話で充分なんだ
 し」
「力を見せるだけなら、もう以前に見せている。 見せるだけじゃなく、補足的に何らかの
 話があったと考えてもいいだろう? 車をひっくり返してから人が来るまでに、しばらく
 時間もあったんだから」
さっと調書に目を通しただけなのに、もうそれだけ現場を把握している。
もしかしたら浦賀刑事はかなりの切れ者なのかもしれない。
「うーーーん、まあ、二〜三、言葉を交わした程度ですけど」
「うんうん、そうだね」
浦賀刑事が、そうだろうそうだろうと目を細め、横で立って聞いているさっきの若い警察官
が、この野郎とばかりに顔を引きつらせている。
「どんな事を話した?」
「話してもいいけど、交換条件があります」
「交換条件?」
「お前なあっ、警察を舐めてやがるとっ」
「三津君、いいから」
浦賀刑事は三津って呼んだ警察官を手で制した。
「交換条件って?」
「今日、壱岐教授と会ってきたんでしょ?」
「……ああ」
「その話を聞かせて下さい」
「そんな事を聞いてどうする?」
「今日の越田との会話と関係があるかもしれません。 それに、あの超人性の解明の糸口に
 なるかもしれませんしね」
「それはどうかな。 ま、いいだろう。 関連があるか無いかはお互いの話を出し合ってか
 ら考えよう」
「この際、協力し合ったほうがいいかもしれませんね」
僕は基本的には警察を出し抜いて解決しようと思っている。
しかし、情報収集力は警察の方がはるかに上だ。
ここは協力し合う方が得策だろう。
「じゃ、君から話してくれ。 僕も話すと約束するから」
浦賀刑事も僕と同じ手形で手を打ったみたいだ。
「いいでしょ。 どこから話そうかな」
「まず、越田はいきなり車の後ろから現れたの?」
「ええ。 いきなりって感じで。 最初は車が故障したのかと思いましたから」
「それから車がひっくり返って?」
「僕が越田に、どうしてそんな力が出せるんだ?って聞きました」
「すぐ近くまで行って?」
「いえ、ひっくり返った車を隔てて。 そしたら越田のやつ、広都大に昔からある超人伝説
 の事を話しました」
「超人伝説? なんだ、それは」
「僕も初めて聞きました。 医学部で、ずっと昔に研究されていて、それが完成しているっ
 て言ってました。 自分がその成果だと」 「超人研究の成果?」
「あれ見たら納得ですけどね」
浦賀刑事は天井を見上げて考え出した。 今回の事件の経緯を知らない人間にこの話をしても、そんな馬鹿なと笑い飛ばされて終わり
だが、浦賀刑事はもうかなり事の事態を掴んでいるだろうから、真剣に話の内容を解釈して
いるのだ。
「医学部で研究していたってのは判るんだけど、越田は文学部だろう。 どうして文学部が
 研究成果になる?」
「モルモットにされているとか」
「誰に?」
「医学部の誰かに」
「奥村か?」
「それは判りませんけどね。 まだ調べてないんですか?」
「奥村にはまだ会えてないんだ」
「超人伝説は医学部に伝わっているという事ですからね、調べて下さいよ。 完成してると
 も言っていたし、それを見せもしたんだから」
「ああ、もちろんだ。 で、越田は、その超人伝説の話をしてからは?」
「そこまでですよ。 タイムアップでした」
「越田は超人伝説の事だけを言いたかったのか?」
「越田は、あの学長が体育会なんかを使って昔の研究をほじくり返そうとするから、我々が
 それを守る為に、こうして出てこなきゃいけなくなったんだって言っていました。 学長
 が超人伝説を探ろうとしていて、越田はそれを阻止するために超人として出てきたんじゃ
 ないでしょうか」
「学長が何の為に、そんな伝説を探ろうとする?」
「人為的に超人が作り出されるなら、その原理を知る物は巨万の富を手に入れる事が出来ま
 すよ」
「たんなる伝説じゃなかったのか」
「伝説があればこそ、越田の力は現実的な物と受け止められる訳だから。 でなきゃ馬鹿馬鹿
 しいと笑い飛ばされるだけだし、その伝説があったからこそ、隠し通す事も出来なくなった。
 欲に目の眩んだ学長から隠せないと思ったから、反対に、すでに完成していて、この力の前
 にはお前達なんか近づく事も出来ないぞというパフォーマンスをする必要に迫られた」
「それが本物であるという事を証明するには、その成果そのものを見せなければならない。普通
 の人間が超人に変化した過程を見せる必要があった。 それを証言させる為の駒が君ったとい
 う訳か」
「まあ、越田の考えそうな事ですね。 僕を仲間にしようとかって話じゃないと思いますよ」
「目撃者としての適任だったのか」 「そうだったんでしょう。 で、その関連として、さっきの交換条件なんですけど」
「壱岐教授の話か」
「そうです。 繋がっていると思いませんか?」
壱岐教授のドーピング事件にしても、つまりは超人研究の成果の小出しだったのではないか?
医学部が70年前からの研究を今だに継続しているとすれば、壱岐教授もこれに関わっていたと
考えられる。
その壱岐教授と越田の関係が割り出せれば、事件の背景が見えてくるのではないか。
「それがな、大阪まで行って、会う事は会えたんだが」
浦賀刑事はちょっと首を傾げて言った。
「何も喋ってくれなかった?」
「いや、四年前の事件についてはいろいろ話してくれたよ。 でも、あの時の薬の成分は陸連
 がとっくに分析している筈で、今とりたてて説明する必要は無いって言うんだ」
「完全に解析されているんですか?」
中浜の話だと、完全には解析されていないというような事だったが。
「それが、当時の警察の調査資料を見てみると……」
「警察も介入していたんだ」
「覚醒剤取締法違反の疑いがあったからね」
いや、もっと上の方からの調査命令が出ていたんじゃないかと思うのだけれど。
「でも、分析出来なかった」
「と……言うと?」
「まず、夕日化成の東口選手が投与されたっていう薬品そのものが残っていない。壱岐教授
 は、その時の一本しか作らなかったと言うんだ。 尿検査ではアンフェタミンが検出され
 たけど、その時の検査官は陸連の会員だったが、医師じゃなかったためにアンフェタミン
 の反応が出ただけで、たんなるドーピングと決めつけてしまい、それ以上の分析をしなか
 った。 それが大変な薬剤だと判り、陸連が再検査をしようとした時には、もう検体の尿
 は捨ててしまっていたし、その後の検査に東口選手が応じなかった為、それ以後の検査は
 されなかった」
「でも、壱岐教授は分析されていると言ったんでしょう?」
「最初の尿検査の事を言っているんだろう」
「その薬の化学式とか調合記録なんかは残ってなかったんですか?」
「そんなものはいっさい無いと言い切られた」
「家捜しはしなかったんですか?」
「人聞きの悪い事を言うね。 令状なんか無いよ」
「ふーーーーん、結局、薬そのものについては何も判らないままですか」
「そんなところだね」
「超人研究については何か言っていましたか?」
「いや、言ってなかった。 僕自身、今まで知らなかったからね。 残念だったな、知って
 いたらもっと問いつめれたのに」
「壱岐教授が広都大にいた時、どこの研究室にいたか、聞きましたか?」
「臨床神経学研究所だ」
「所長だったそうですね」
「よく知ってるな」
「広都大に籍を置いていますから。 で、そこで、どんな人達とつき合っていたとかは?」
「それも調べたんだろ?」
「表向きしか知りませんよ。 知りたいのは、どうして壱岐教授と夕日化成の選手がつなが
 っていたのか? その事件に関して壱岐教授以外の誰が関わっていたのか? ドーピング
 の研究はいつから始められて、どの程度進んでいたのかって事です」
越田は、70年前から研究は始められていたと言った。
でも、それは臨床神経学研の事なのかどうかは判らないのだが。
「東口選手とのつながりは聞いたよ。あくまでも個人的なもので、所属企業やその他の介入
 は無かったと言っている。 当時、東口選手はなんとしてもオリンピックに出たかった。
 悪魔に魂を売り渡したつもりで、壱岐教授にドーピングの依頼をしたんだそうだ」
「臨床神経学研で壱岐教授以外にドーピングに関わった人はいなかったんですか?」
「事件そのものに関しては、いないという事だ。 ただ、研究としてなら、あの研究室は神経
 とか筋力、運動中枢に関する研究をするところだから、研究員は全員その知識は持っている」
「言わなかったけど、きっと超人研究の事は知っていたでしょうね」
「もう一日はやく、その話を聞いていれば、問いつめられたんだが」
浦賀刑事は残念がった。
それは当然、僕にも悔しい事であったのだが。
「壱岐教授はどうして広都大を辞めたって言ってたの?」 宣子は大胆にも、浦賀刑事に対しても僕と同じような口のききかたをした。
「随分マスコミに叩かれたからね。 神聖なスポーツを汚したって。 それになんと言っても
 広都大の名前が出たから。 私立だし」
「大学としては騒がれると運営に差し障るしね」
「で、壱岐教授は今、何をしているんですか?」
「何もしていない。 楽隠居の身だ。 元々大阪出身の人でね、実家があって、そこで夫人と
 ふたりで暮らしている」
「壱岐教授っていくつなんです?」
「75歳だ」
「もう働けないのかな」
「広都大で教授までやった人がいまさら民間には行けないよ。 もっとも、あの人を欲しがっ
 た会社はたくさんあったみたいだけど」
「どんな会社ですか?」
「ほとんど製薬会社だ」
「でも、行かなかった」
「ああ、かなりの高額な条件を提示されたらしいんだけど、もうその方面で仕事をする気は無
 いって、全部断ったそうだ」
「ふーーん」

ドーピングは不正な行為だ。
しかし、それが人類未到の記録を生み出すほどのものであれば、それを欲しがる人間や企業は
多い。
そういった連中に自分の研究成果を見せつけるために、そして、それで財をなすために、非難
を覚悟で公式競技で使ったのではなかったかという疑いも出来る。
が、しかし、その後、いっさいその方面から身を引いたという事は、そういう売り込みでもな
かった訳だ。
という事は、利益は度外視で、臨床例だけが欲しかっただけなのか?
結果に満足したから、それ以上の研究は意味無しとして、早々に引退してしまったのか。
しかし、壱岐教授には教え子達がいたはず。

「壱岐教授の教え子達はどうしています?」
「ああ、かつての教授の下で研究をしていた連中も、まだ多く大学に残っているね。 それが?」
「もしかして、その時の薬品について携わっていた人が今でもいるんじゃないかと思って」
「その研究を受け継いだ者が、越田を実験台にして試したって事か?」
「壱岐教授の広都大時代の人脈が鍵かもしれませんね」
その線を調べれば、奥村に繋がるかもしれない。

そういった聞き込みとなれば、僕達の方が俄然有利だ。
大学内に警察が入る事を快く思っていない連中も多い。
ましてや紛糾している記念館保存派と取り壊し派の連中となると、さらに警察の介入を嫌がる
に違いない。
そういった連中に警察手帳を見せながらの聞き込みがうまくいくとは思えない。
しかし、僕達であるなら、同じ学生同士、あるいは仲間として気軽に話しの中で要点を聞き出
事が可能だ。
警察の捜査を一歩出し抜く事が出来る。

「壱岐教授が今でも大学に残っているとか、関係者が残っていたら良かったのにね」
宣子はちょっとがっかりしたような顔をして言った。
僕達が有利に立った事が理解出来ていないのだろう。
「直接本人は関係無いんだけど。 壱岐教授のお孫さんがいるよ」
「壱岐教授の孫?」
「今、広都大付属高校にいる」
「ひとりで?」
「壱岐教授の息子夫妻はこちらに残っているからね」
浦賀刑事は当然だろという顔で宣子に返した。
「大学の方とは関係無いけどね」
あまりたいした成果は無かったとばかりに両手を挙げた。
しかし、僕にとっては収穫があった。
次のターゲットも絞れた。
勝負はこれからなのだ。

「ところで、これから現場に行くんだけど、君達も行く?」
いきなり浦賀刑事は話題を変えた。
こういうタイミングは要注意なのだ。
「今から? あら、もう九時半! 私、門限十時なのよ。 やだっ、遅刻しちゃう。帰るっ」
宣子は腕時計を見て、すっくと立ち上がった。
「御堂。 送ってっ」
言いながら僕の手を力強く握った。
こうなったらテコでも離してくれない。
僕としては、もう一度現場に行っても良かったのだが。
「そういう訳で」
「そう……現場で実況を聞かせて欲しかったんだけど」
「冗談っ。 家までパトカーで送っていただきたいくらいよ」
「そうだね。 女の子を遅くまで引き留めてごめん。 家までって訳にはいかないけど、途中
 まで送らせてもらうよ」
「パトカーで?」
「いや、覆面で」
「白黒のパトカーがいいのにな。 でも、お願い」
宣子は勝手な言い方をして、さっさと応接室を出ていった。
三津刑事は完全に頭に来た顔をしている。
なめられたと思っているのだろう。
もちろん宣子はなめたつもりでいる。
僕達は署を出て、覆面パトに乗った。
夜の街をごく普通に走る。
赤ランプを回していない時は、あくまでも一般車両だ。
「刑事って、残業手当出るんですか?」
「そんなもの出ないね。 警察は24時間営業でね、最初からそれを前提とした給与設定になっ
 ているから」
「じゃ、元からすごく良いんだ」
「まさか。 僕の格好を見てくれよ」
「ははは、そうですよねーー」
宣子は判っていてわざとつまらない話題をふっているようだった。
余計な突っ込みをされる前にかわしているつもりだろう。
で、話はそれきりで、僕達は近くの地下鉄の駅で降ろされた。
そして、君達の協力は無くても、自力で調べてやるよ、とでも言っているような目を残して
浦賀刑事達は広都大方面に走って行った。


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憂想堂
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