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〈29〉



野上教授は肥満が急にやせ細ったみたいに、皮膚のたるみきった男だった。
がらんとした六道記念館のホールで野上教授は奥村、エラメガネ達三人と何やら話し合っ
ている。

僕と中浜はあれ以来、野上教授をマークし続けていた。
学内でどんな人物と接触しているのか、学会に発表されている研究内容とかも。
たぶん浦賀刑事もマークしているのだろうけど、僕は僕なりに調べてみて、その上で対策
を練るつもりだった。

それがこの日、野上教授は苦虫でも噛みつぶしたかのような顔で奥村達を引き連れてここ
にやって来た。
もう陽はとっくに落ち、常備灯の明かりだけで薄暗いホール内に学生はいない。
僕達はホール入り口脇の緞帳に隠れて連中の様子を見ていた。

「また薄暗いところで何をひそひそ話してんだろ」
「わざと人目を避けた感じやな」
「いよいよ南教授の研究書類を掘り出すのかな?」
「このホール内に目処をつけたんかな?」

連中が保存を謳っている限り、書類はまだ発見されていないという事だ。
記念館自体もうかなり老朽化しているのだから、そういつまでも保存しきれないだろう。
中根元総理生存中に取り壊しにでもなったら大変だし、保存派にしてもそれは困る。
書類を自分達の手に入れてしまえば、こんな建物、取り壊し派にいくらでもくれてやって
もいいが、それまでは持ちこたえてもらわなければいけない。
発見に急を要しているのは本当は保存派なのだ。

「別に探し回ってるふしは無いな」
四人は演台下まで歩いて行った。
入り口緞帳から距離が離れてしまったので、連中の会話の様子がよく判らない。
僕達は緞帳を出て、並べてあるベンチチェアーの陰を四つん這いで近づいて行った。

その時、演台の上に薄ぼんやりと人影が見えた。
「宣子………?」
シルエットだけで気が付いた。
何故宣子がここにいる?
野上教授達も宣子に気が付いて、演台のすぐ下まで近づいた。
「野上教授」
宣子が話しかけた。
「君か、呼び出したのは」
「そう」
「何を見つけた。 何を知っている」
まだ演台まで距離があるのでよく聞こえない。
宣子のやつ、いったいどうして野上教授を呼び出したんだ?
「……は、あなた達だけのものじゃなかったのね。 ひどく………がかりだったけど、で
 も、越田君に…………な事させて……それに……………」
「御堂、聞こえるか? 何て言うてるんや?」
「しっ、聞こえないよ。 くそっ、もっと近づかないと」
宣子は野上教授達を見下しながら喋っている。
教授達は演台下で突っ立ったままだ。
双方もとに落ち着き払った静かな会話だ。
宣子が一方的に喋っているんじゃなく、何かやりとりをしているように見える。
「君に何が判る………理だけ立てても何の確証にもならないぞ」
「……と探りまわっていたみたいだけど……………に判る話じゃないぞ」
奥村も何か言い返している。
もっと近づかなければ。
見つかってもこの角度なら宣子の目に止まるだけだ。
さらに近づこうとしたら、
「え?」
後ろから中浜が僕のシャツを引っ張る。
「何?」
と、後ろを見ると、なんだこりゃ?
えーーーーーー?
浦賀刑事がやっぱり四つん這いで僕達の後ろにくっついて来ている。
つけてやがったか。
予測出来ていた事だけど、気が付かなかった。
浦賀の野郎、僕と目があって、片目ウインクで人差し指を唇にあてた。
何言ってやがる、あんたの方こそ邪魔なんだよと言ってやりたかったが。

その時。

バキッ! バキバキッ!!
「え?」
演台の方で生木を裂くような音がした。
瞬間、まん丸になった浦賀刑事の目線を追って振り向いた僕の目も点になった。

演台脇に立てられてある広都大創立者六道郷之助の胸像、それもブロンズで、鋳物の台が
そのまま演台床に固定されてあるやつを、宣子は両手で抱えるようにして床から引っこ抜
いてしまった!
床板は割れてめくり上がり、根太まで跳ね上がる。
そして宣子はそれ自体50キロや60キロではすまないくらいの重さのあるブロンズの胸像を
頭上にまで差し上げ、演台下の野上教授めがけて投げおろしたっ!!
四人はひっくり返るようにしてそれを避け、胸像は地響きを立てて床にめり込んだ。
ハリボテじゃなかった。

宣子は女の子にしては大きい方だし、ひ弱さなんて感じられないタイプだけど、あんな怪
力を持っているはずは無い。
いや、まともな筋力じゃあの胸像を素手で持ち上げられるはずなんてないのだ。
しかも床に固定されているものを。

今度は宣子が超人化した!!

宣子は超人の秘密を手に入れた。
いつの間に?

僕達は棒立ちになった。
浦賀刑事も呆然として立っている。
けど、よく見ると、野上教授達はひっくり返りはしたが、今僕達が感じているほどには驚
いてはいないようだ。

自分達が研究していた超人化をいともあっさりと、いわば野次馬の宣子が手に入れたのだ
から、もっと驚愕してもよさそうなものなのだが、落ち着いている。
もしかして宣子は隠されていた書類を見つけたのか。
野上教授達はそれを予測していたのか?
すでに発見された事を知っていたのか?
そろそろこういう形で自分達の前に現れると覚悟していたのか。

「アリムラか」
立ち上がった野上教授が宣子に言った。
アリムラ?
人の名前か?
「………直接………けど、近いところ…………まさか、…………っていたなんて」
どういう事だ?
くそっ、聞こえない。
「君の後ろ盾は誰だ? 目的は?」
「個人よ」
「仲間が………だろう」
「あなたたち………………に」
僕と中浜は突っ立ったままだったけど、浦賀刑事は行動を起こした。
おもむろに僕達の間をすり抜けて演台に向かって歩き出したのだ。
え? やばいよそりゃ、と思ったけれど、はや遅く、すたすたと浦賀けいじは宣子の視界
に入った。
この場で宣子を取り押さえて、野上教授からも事情を聞くつもりだったんだろうけど、宣
子はさっと身を翻し、ホールの常備灯が消えてしまった。
「わっ!」
ホールの中は真っ暗闇になった。
ばたばたと走る音、たぶん浦賀刑事。
演台に向かって走ったんだろうけど、すぐに、どてっ、と倒れる音がした。
僕もすぐに追いかけようと思ったけど、やめた。
越田の時と同じように、宣子もこんな形で姿を現したんなら、逃げ道を作っていない筈は
ない。
照明が消えたタイミングもじつに絶妙だったし。
追いかけても無駄だと思った。
続いて数人がこそこそと出口に向かう足音。
野上教授達が逃げ出しているのだ。
僕は暗闇の中でなすすべもなく立ち尽くしたままだった。

宣子が超人化した。
それもショックだったが、僕があれほど追い求めたものをいともあっさりと出し抜かれた
って事がさらに大きな疑問だった。
僕と宣子はもっとつながっていると思っていた。
それが土壇場になって僕を置いてけぼりにした。
宣子にとって僕は何だったんだろう?
コンビとではなかったけれど、恋人にはならないゆえの異性間を越えた友人じゃなかった
のか?
宣子は僕を切り捨てた。
得られるだけの情報を手に入れて。
考えたくはなかったけれど、そうとしか思えなくなった。
もしかして宣子は最初から僕を利用するために近づいてきたんじゃなかったのか?
近づき方も急なものだったし。
しかし、とにかくこうなったら越田の時と同じように、今度は宣子を追いかけるしかない。
宣子に会う事。
闇の中で走り回る浦賀刑事の足音を聞きながら、僕は新たな闘志を湧かせていた。



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憂想堂
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