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〈37〉



人工の森、シダやツタが垂れ下がる木立の中の円卓に僕達は向かい合わせて座ってい
た。
照明が自然の木漏れ日のように枝葉から落ちてくる。
鳥たちの声が響く中、蜻蛉の羽根を持った妖精達が飛び交っている。
あるものは手を振りながら、あるものは歌いながら。
「たいしたもんだ」
浦賀刑事はそれらをながめながらため息をついた。
「あなただけはと思っていたんですけどね」
「失落地に落ちたという感じだね、返す言葉も無いよ。 僕にしたって所詮は番犬だ
 ったって事だよ」
「でも普通、当事者達から姿を隠して追求を逃れるのが常套でしょうに。 それも組
 織ぐるみで」
「そんな動きもあったよ。 でもその前にどうしても君に会って聞いておきたい事が
 あったんだ」
「僕がどうして超人化したかでしょう」
「そうだ」
「南レポートは結局当時の実験内容と関係した人間しか公表されませんでしたからね。
 超人製造のための完成した処方についてはいっさい隠された」
「それはしかたのない事だろう。 国益や外交にも関わる事だろうし」
「でも、ここに来てもうだいたいは判ったでしょう」
「ああ、驚いたよ。 まさかこんな事とはね」
シダのジャングルの無効でティラノザウルスが首を振り巨大な牙を剥いている。
銀色のUFOがにぶい光を放ちながら降りてきた。
妖精達は輪になって踊り出す。
「僕もえい子にここへ誘い込まれて宣子に会うまでは信じられませんでした」
「どうして山本さんと山崎さんの方が君より先にこのトリックに気づいたんだ?」
「話は60年前にまで遡るんですけどね。 終戦間際、陸軍将校だった中根信広はこの
 ままいけば日本の敗戦は間近だと予測しました。 といって、このまま手をこまね
 いていて負ける敗けるのを待っている訳にもいかない。 なんとか劣勢を挽回した
 いと考えた。 超人研究はその前から進めていたんですけど所詮は今でいうドーピ
 ング程度のものしか出来ていなかったんです。 このままでは敗戦を待つばかりか
 巨額の国費投資を主導し生体実験まで指示した自分の責任問題になる。 なんとか
 研究の成果を上げなければならない。 そしてその情報を海外にに流し、日本の脅
 威を知らしめる必要があった。 そこで中根少将は一計を案じました。 捏造した
 実験の成功結果を発表し、それを極秘を装いながら海外に流そうとしたのです。
 広都大に軍関係の人間や情報管理の機関を集めて超人研究の成果を見せました。
 もっとも研究は成功なんかしていないんですから、いかにも成功したかのように見
 せる仕掛けが必要だった。 そこで登場するのが現蟻村工藝社会長蟻村栄一氏です。
 蟻村氏は同じく広都大で建築を専攻していましたけどミケランジェロやダビンチの
 ように造形の分野から建築に入った人でした。 だから建築のみならず絵や彫刻、
 からくり人形などの研究もする多才な人だったんです。 蟻村氏は広都大卒業後し
 ばらくは建築会社で住宅設計をしていましたがすぐに独立し、現在の蟻村工藝社の
 前身である蟻村展示社を設立しました。 この会社は店舗設計や店舗装飾を手がけ
 たり看板や造形物を創ったりしていました。 中根少尉は蟻村氏の造形やからくり
 に関する知識に目を付けました。 蟻村氏を軍部に呼び超人研究が成功したかに見
 えるからくりを創るよう要請した。 蟻村氏にしても自身の演出するからくりで対
 戦国を動揺させる事が出来るとしたら、身に余る光栄であると快く了承した。 広
 都大で披露された超人達は蟻村氏制作による鋼鉄板に見せかけた鉛板を引き裂いて
 見せたり、銃弾を弾く鋼鉄板を胸にあて、その上から特殊ゴムで創った皮膚を被せ
 、一見素肌に見えるようにして銃弾を撃ち込ませた。 生身の人間が銃弾を跳ね返
 したかのように見せた。 蟻村氏が創った鉛板や人工皮膚はとても精巧なもので、
 その場に列席していた軍部や情報関係に人達はすっかり騙されてしまったんですよ。
 中根少将のその場しのぎの作戦は一応成功しました。 けど、敗戦は思ったより早
 くやってきました。 中根少将は生体実験の証拠隠しに書類の一部を持ち出して、
 南教授も証拠隠滅を命じた。 この時、南教授は書類を消却せず、六道記念館に隠
 しました。 その上、その事実を後に残すために当時研究員であった壱岐教授を生
 かしておいたのです。 これはもしかしたら南教授の中根少将に対する報復であっ
 たのかもしれません。 無惨な生体実験を指示し、その関係者全員を殺し、お前も
 死ねと命じた非道な命令をし、自分だけは助かろうとする中根少将への報復です。
 その後の広都大の超人伝説は中根氏の耳にも入っていたのかもしれませんけど、南
 レポートさえ掘り返されなければ大丈夫だと高をくくっていたのです。 ところが
 今になって超人伝説が自分の政敵である竹之内総理の耳に入り、竹之内氏は南レポ
 ートを掘り出そうとした。 そして記念館取り壊し計画が立ち上がった。 中根氏
 は困りました。 なんとしても六道記念館を守り抜かないといけないと思ったので
 す。 記念館保存派を立ち上げ対抗したが決定打にはならない。 そこで考えたの
 が超人の再登場です。 超人が現れたという事は南レポートはすでに掘り返されて
 いる、今さら取り壊しても無意味であるというデモンストレーションだったのです。
 越田は野上教授や奥村達に言いくるめられて超人役をかって出たんですよ。 トリ
 ックなんて簡単なんですよ、ほら」
僕の指さす方向には巨大な岩が宙に浮かんでいる。
「あれは発砲スチロールで作った岩ですけど、あれを吊しているテグスが細くて肉眼
 ではまったく見えないでしょう」
「まったく。 いくら細くても蜘蛛の糸なんかはよく見えるのにね」
「蜘蛛の糸は細いけれど光沢があるから光って見えるんですよ。 このテグスは全く
 の無反射素材なんで光らない。 だから肉眼では見えないんです」
同じテーブルについていた山崎隆則企画室長が説明した。
「越田君が持ち上げたグランドピアノにはこのテズクが10本かけられていたんです。
 それを天井に組み込まれてある緞帳昇降用のモーターリールで持ち上げていたん
 ですよ。 越田君はただ持ち上げる格好をしていただけなんです」
「しかし、よくこんな細いテグスであのグランドピアノが上がりましたね」
「細いけれどこれ一本で垂直方向の引っ張り耐久は100kgあるんですよ。 グランド
 ピアノなんて軽いもんです。 10本のうち8本は垂直に吊り上げるために、残り
 2本は演台前からの引っ張りで、越田君が投げる動作をするのと同調して前に引
 っ張った訳です。 それでいかにも越田君がピアノを投げたように見えた」
山崎室長は身振りを入れて説明した。
「なるほど、それは判りましたがその前に体育会の学生達が演台に上がって越田に
 掴みかかったでしょう。 あの時越田は巨漢達をいつも簡単に投げ飛ばしました
 が、あれは? あの場合はテグスの仕込みは出来なかったでしょう」
「あの連中は我々とグルだったんですよ。 金で雇ったんですけどね。 わざと投
 げ飛ばされたんです」
あれでその後のピアノの持ち上げに真実味が出た。
全てが演出だった訳だ。
「僕が越田に呼び出されて旧講堂の駐車場に行った時も同じトリックを使ってたん
 です。 滑車とウインチで車の後部バンパーを吊り上げて、越田はそれに合わせ
 て手を添えていたんです」
「うん、それじゃ最初のグランドピアノの時もそうだけど、そのテグスが残るんじ
 ゃないの? 現場検証の時、そんなものは無かった」
「あの時にはまだ保存派全体であのトリックを作り上げていたんですよ。 会場に
 いた保存派の連中が騒ぎに乗じてテグスを始末したんです。 駐車場の時もそう
 です。 警察が来るまでに裏で隠れてウインチ操作していた連中がテグスを始末
 したんですよ。 あの後どやどやと入ってきた野次馬にまぎれてね」
「じゃ、その後の駐車場の壁は? 鉄板の壁をぶち抜いただろう」
「最初から破いてあったんですよ。 その穴の上にもう一枚、亜鉛版で偽装壁を被
 せていたんです。 越田君が破いたのはその薄い亜鉛壁なんです」
山崎室長、つまり宣子の兄さんは笑いながら言った。
僕にもまったく見破る事は出来なかった。
「次に出てきた二回目の保存派集会の時もトリックが使われました。 床に据え付
 けの椅子を引きちぎっては投げたというもの。 あの椅子も最初から壊して引き
 ちぎってあったんです」
「私が胸像を引きちぎったのも同じ」
宣子がにこやかに言った。
ちょっとおどけて腕に力こぶを作る仕草を作る。
「持ち上げるのは同じくテグスを使いましたが」
と兄さんが付け加える。
「そこまではだいたい理解出来るんだけど、判らないのは越田が銃で撃たれても死
 ななかった事。 あのトリックは? 撃ったのは本物の警官だ。 銃に細工は出
 来ない。 身体に鉄板を巻いていたのか?」
その銃弾を撃ち込んだ張本人にしてみれば手応えがあったのにそんな筈はないとい
うところだろう。
「刑事さん、ちょっと後ろを見て下さい」
山崎室長の指さす方向を見ると………越田が立っている。
「! 何だこれはっ。 誰だ!」
浦賀刑事は驚いて立ち上がった。
「よく見て下さい。 これは蟻村工藝社が開発したヒューマノイドです。 コンピ
 ューター制御の油圧コンプレッサーで動くんです。 骨格はステンレス、皮膚は
 特殊シリコン。 御堂君が最後に変装に使っていた人工皮膚です。 筋肉と関節
 は油圧ピストンで、それらを動かす油が油圧チューブを通ってコンブレーッサー
 から送られてきます。 マスクは本人から型を取って作りました。 よく出来て
 いるでしょう。 まばたきもするし呼吸もします。 指も一本一本動きますし、
 油圧だから力も強い。 このヒューマノイドがあの記念館で暴れたんです。 も
 っとも二足歩行は出来ませんから、腰までの衝立の下で操作員ふたりが支え持っ
 ていた訳なんですが」
「うーーーん」
浦賀刑事がうなる。
「越田君の顔型はこの計画当初から作ってあのました。 しかし、あんな形で使う
 事になるとは思っていませんでしたね」
山崎室長が言う。
「越田はその少し前、僕から超人伝説の真相を聞いて、自分が騙されていた事に気
 付いたんです。 それで奥村に詰め寄り、事実を公表すると言ったがために殺さ
 れた。 だからヒューマノイドの代役を立てなければならなくなったんです。
 実際に殺されたのはヒューマノイドが暴れた後でしたけどね」
「越田を殺したのは奥村だったよ。 自供が取れた」
「そうでしょ。 もひとつ聞きたいんですけど」
「何?」
「ヒューマノイドの越田が暴れた時、あなた方は何のためらいもなしに銃を撃ちま
 したね。 日本の警察ってのはあんなに簡単に発砲するもんなんですか?」
僕は最初あれで越田が死んだものと思った。
警察に殺されたのだと。
「………発砲せよという命令が出ていた」
「誰から?」
「上の方からだ」
中根信広が、銃で撃たれても死なない超人の存在を知らしめるために撃たせた。
「この時点までは我々は裏のかけひきを知らなかったんです。 越田君と同じ理由
 で超人伝説に手を貸していたんですよ」
山崎室長が眉をひそめて言った。
自身も騙されていたと同じものだったのだ。
「蟻村工藝社の仕業だと最初に気が付いたのは私。 越田君のヒューマノイドを見
 た時、これは兄の会社で開発したヒューマノイドだとすぐに気が付いたから。
 私、前にお兄さんの仕事見に来てこの造形室をよく見ていたから。 だからお兄
 さんを問い詰めてみた。 お兄さんの仕業だと思ったのね。 それまでに壱岐教
 授から聞いた話も全部して、そしたら」
「我々が中根、野上の保守派に踊らされていた事がすぐに判りました。 社長はも
 っと前から真相は知っていたそうですけどね。 今は我々のやった事を理解して
 くれていますよ。 それから後の宣子の超人化、御堂君の超人化には保守派の連
 中とは全く関係無く我々だけでやった事です。 宣子が野上教授の前で超人化を
 見せた時、野上教授はすぐに我々の反目を理解しました」
「だからあの時『アリムラか』って言ったんですね。 でもおかしいですね。 御
 堂君は超人伝説の内容を知ったがゆえに………我々に追われるはめになった。
 あなた方も同じように知ったはずなのに、我々には上から何の命令も無かった」
浦賀刑事は言いにくそうではあったけれど内幕を言った。
「蟻村社長が我々を守ってくれたんですよ。 あの人の真相を知っているひとりで
 すからね。 それに我々は事件のからくりは知っていましたが南レポートに関し
 ては何も知らなかった。 その存在すら知らなかった。 その点が見逃されたと
 ころでもあったのでしょう。 けど御堂君の場合はそうはいかなかった。 へた
 をすると南レポートが世間に出る事になり、自身の命取りになると恐れた。 だ
 から狙われた。 壱岐教授なーに最も近づいたのも御堂君でしたからね」
「壱岐教授の話がポイントになりましたね」
僕は宣子とその隣で宣子に寄り添っている壱岐満理江を見た。
今となっては満理江も我々の仲間なのだ。
「満理江君、君が一言、この人達に誘拐されましたと言ってくれれば、僕はすぐに
 この連中を逮捕出来るんだが」
「私は誘拐なんかされていません」
満理江は浦賀刑事を軽くにらみつけるように言った。
「壱岐教授はこれで南教授の思惑通りに動いた事になるんでしょうね」
僕はここにいない中根信広に向けて言った。
南教授の思いは戦後60年を経て達成されたのだ。
「越田君が飲んでいた薬ってのは何だったんだろう?」
浦賀刑事が話しをかわすように話題をふった。
「えい子もグルだったんですよ。 越田は何も飲んでいなかったんです。 えい子
 がさもそんな薬があって、それが超人薬らしいと言っていただけなんです」
「私も最初はみんなをだますのが面白かったんだ、なんだか秘密めいてて」
えい子は少し翳った表情だ。
「えい子と飲みに行った時、えい子が酔っ払って『切れたらどうしよう』って言っ
 たんですけど、あれは薬が切れたら、じゃなくてテグスが切れたら、だったんで
 す」
「私、あの時本当はそんなに酔ってなかったのよ。 御堂君にヒントをあげたつも
 りだった」
「後で判ったよ」
「でも、こんな結果なるんだったらもっと越田君を引き留めておけば良かった」
この場ではえい子が一番可哀想だった。
軽く引き受けた茶番で恋人を失ったのだから。
「だいたい判りましたよ。 あなた達は60年前の超人伝説をその形のまま現代に蘇
 らせたんです」
「南教授の意志ですよ」
僕はこれまでの推移からその通りだったのだと思っている。
「御堂君、まだひとつだけ判らない事があるんだけど」
「何でしょう?」
「君が蟻村工藝社の仲間に加えてもらうのは随分遅かったように思うんだけど。
 山崎君と恋人同士であったのならもっと早い時期に仲間に入っていたもおかしく
 ないと思うんだが」
「私、御堂にはずっと夢を持っていてもらいたかったんです。 こんなトリックだ
 ったなんて判ったら夢壊しそうだったから。 出来たら超人伝説のまま埋もれて
 おいてほしかったんです。 だから」
「なるほど、御堂君に対する思いやりか」
「おかげで死ぬほど大変な目に合いましたけどね。 けど、えい子にここへ誘い込
 まれた時はショックでしたね」
「あのやり方は宣子さんがそうして欲しいって言ったから」
「現実を見る前に幻想的なイメージから入って欲しかったから」
宣子は僕の夢を夢から現実に誘導しようとしたんだ。
「けど、自分の妹ながらなんて大胆なやつだと思いましたよ。 御堂君がここでい
 ろんなものを見て、最後に宣子が出た時の事は」
妹の全裸を目の前で見せられ、男に抱かれるところまで演出させられたのだから実
の兄としては複雑であったろうと思う。
しかし僕は残念な事に宣子との事は幻想の中でしか憶えていない。
現実であったとは今だに信じられないのだ。
だからこれはこれからも僕自身の幻として残り続けるのかもしれない。
「いろいろあったけど、これで終わりましたね。 後は警察がどう後始末するかで
 すね」
「一応頑張らせてもらうよ」
「一応?」
「我々もサラリーマンと同じでね、上からの命令で動いているんだ」
「ふーん、そんなもん?」
今更期待はしていない。
超人願望も所詮は夢だったし、超人伝説も作り物だった。
今、僕達のまわりを飛んでいる妖精達のように巧妙に創り出された幻想にすぎなか
った。
みんな夢を見ていたし幻想を見ていた。
その中で無くしてしまったものも大きいけど、拾い上げたものもあった。
この作られた幻想も現実ではあるが僕はもう少しこの幻想の中で想いをめぐらせて
いたい。
あの夜、幻にゆらめきながら宣子に抱かれていたように。

                             完



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憂想堂
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