003.jpg

〈13〉



奥村直孝は神経質そうな男だった。
僕は越田が奥村と一緒にいるところを何度か見かけただけで、本人と話した事は一度もない。
長く一緒にいると気疲れしそうで、あまり親しくなりたくないタイプの男だ。
奥村も僕の事は顔を知っているくらいで、おそらく名前も知らないだろう。
その方がかえって好都合だ。

山本えい子の証言で越田が何だか訳の判らない薬を飲んでいたのは判った。
僕達は今、あくまでも推測でその薬の出所が奥村ではないかと思っている訳だけれど、もし
その薬が本当に超人薬であるか、そうでなくても非合法な成分の含まれたものであったとし
たら、奥村がかかわっていたところで、まともに応えてくれる筈がない。
とすれば、まともじゃない方法で聞き出すしかない。
宣子は、その、まともじゃない方法で奥村から聞き出すと言って接近を試みているのだ。

朝、ラッシュアワーの地下鉄で、宣子はごく自然に乗り合わせた形で奥村の正面にくっついた。
刺激的なルージュをべったりと塗って、僕にも見せてくれた事の無い超ミニスカート、それ
もストッキングを履かないで、奥村の腕に抱かれるかのように、まさにべったりとくっついた。
僕と中浜は、少し離れて地下鉄に乗り、前後左右斜めから押しつけられるいかつい中年サラ
リーマン達に溺れ、締め付けられながら宣子と奥村の様子を盗み見ていた。
宣子と奥村は正式な面識は無いけれど、同じ大学の学生だという程度には認識している。
だから奥村にしても、まったく面識の無い女の子に身体ごとくっついてこられるような怪訝
さは無く、ラッキーなひとときを過ごすかのような気分で顔を赤らめている。
神経質そうでも、異性に対する感情は人並みって訳だ。

宣子はどうするつもりだろうと見ていると、車両が揺れた拍子に、すし詰めに押されてふり
をして奥村の胸にルージュの唇を押しつけた。
「きゃっ、ごめんなさいっ」
「え、あ、ああ」
宣子のわざとらしい演技に奥村は気付かないのか、顔を赤らめたままうろたえている。
どうやら女扱いには慣れていないボンボンのようだ。
「ごめんなさい、ルージュ、付いちゃった」
「え、ええ?」
奥村のシャツの胸にくっきりと赤いキスマークが付いてしまった。
またわざとらしい作戦をするもんだ。
同じ電車で通い合う女の子のよくやる常套手段じゃないか。
けど、奥村の顔はますます赤くなる。
世間を知らない阿呆ボンである。
「どうしよう、ルージュって落ちにくいし」
「い、い、いいよ。こ、これくらい」
よほど女慣れしていないのか、動揺しまくっている。
「よくないっ。 彼女に見られたら誤解されるでしょ。 悪いし」
「か、彼女、いないから」
宣子はよほど悪女の素地があるのかもしれない。
どぎまぎと動揺を隠せない奥村の様子を見て、おそらく心の中でにやりとしながらさらに
自分の胸を押しつけ、ほとんど耳にささやくように続ける。
「広都大(うち)の医学部の人でしょ」
「そ、そ、そう………」
「私、文学部なんです。 あの、すぐに済みますから文学部間キャンパスに寄っていただ
 けません? うちの同好会の部室でルージュ落としますから」
そういえば宣子は女性ばかりの野球同好会に入っていた。
ソフトポールじゃなくて軟式野球の。
「いい、いいよ、このくらい」
「だめ。 私が困るもの。 お願い、すぐに済みますから」
「え、あ、ああ」
奥村がしどろもどろで返事をためらっているうちに地下鉄は駅に着き、宣子は強引に奥村
の腕を引っ張り、さっさと文学部のキャンパスに歩いて行った。

僕は文学部だから当然そとらに向かう訳だけれど、中浜は場違いな顔をして、奥村に見ら
れないように付いてくる。
宣子はキャンパス裏にある古い仮設校舎を改装して設けた同好会棟のひとつの部屋にまん
まと奥村を連れ込んだ。

朝のこの時間の部室には人気はない。
僕でもこの時間に女の子に部室へ連れ込まれたら、それなりの気持ちになってしまう。
据え膳と考えても罰は当たらない。
あの、女の子に縁のなさそうな奥村であるなら、まさに青天の霹靂、驚天動地、天地鳴動
の出来事に違いない。
僕と中浜は部室棟の裏にまわり、女子軟式野球部の部室の窓を覗き込んだ。
ブラインドが下りていたけれど、窓ガラスが半分開いていたので中の物音はよく聞こえる。
「ね、脱いで」
いきなり宣子のショッキングなセリフが聞こえた。
事情を知らない者が聞いたら誘惑の現場だと思ってしまうだろう。
「い、いや、あの……」
「いいから、ほら」
「………」
中でじたばたと奥村の抵抗する音が聞こえる。
抵抗するくらいなら、こんなところに来るんじゃねえっ、と言いたいところであるが、そ
れが作戦でもあるし、奥村にしてもいささかの助平心があるのである。
「ちょっとそのまま待っててね。 すぐに洗うから」
宣子が言って、水を流す音が聞こえた。
シャツを脱がすのに成功したらしい。
僕はブラインドを指で少し開いて中を覗き込んだ。
部屋の中央に、シャツを脱がされランニングシャツ(それもやぼったい)一枚になった奥村
が情けなさそうに触っていた。
その向こうの、部室備え付けの洗面台で宣子がシャツを部分洗いしている背中が見える。
やや上半身を前屈みにしているものだから、ミニスカートの後ろが上がり、なんと、下着
が見えるすれすれのところまでになっている。
しかもストッキングを履いていないものだから、白くて柔らかそうな脚がそっくり剥き出
しになっている。
思わず、目線が下へ下へと行ってします。
奥村も一応目のやり場に困ったような顔をしながらも横目がほとんど釘付けで宣子の太股
に張り付いている。
いくら勝ち気な男勝りとはいっても、その気になった女の色気というのは恐ろしい。
僕があの場にいたら、じっと我慢出来ているかどうか自信無い。
「えーーん、なかなか取れないよぉ。 どうしよう」
聞いた事もない甘ったるい声を出す。
「おそろしい女や」
中浜も横で畏怖している。
「あ、あの、いいですよ、もう」
奥村はいたたまれなくなったのか、立ち上がり、宣子のところへ言ってシャツを取った。
「だめ、もう少し」
「いいです。 もう取れてるから」
「でも、あの」
ふたりはシャツの取り合いでもみ合っているうちに、宣子が引っ張られる形で奥村の胸に
なだれ込んだ。
青春映画でよくあるパターン。
じつに臭いシーンであるが、これで宣子の肩に手を掛けない男はインポかホモである。
で、奥村は健全な男であるらしく、筋書き通りに宣子の両肩に手を置いた。
「あ、あの………」
「ごめんなさい。 こんな事しちゃって」
宣子はしおらしくしなだれかかている。
「私、前から知っていたんです」
「え? ……な、なにを?」
「あなたの事」
「ぼ、ぼ、ぼくを………??」
奥村は完全に平静を失っている。
純情というか、世間知らずの馬鹿というか。
「いつも同じ地下鉄だし」
宣子は奥村の反応に勢いをつけて畳みかける。
妖婦である。
「医学部の人だなって。 いつも見てました」
臭い芝居である。
「…………」
ブラインド越しにでも奥村の両膝が震えているのが見える。
これだけ臭い常套文句にいとも簡単に乗るのはよほどの阿呆か世間知らずのボンである。
「奥村さんって言うんでしょ」
「ど、ど、どうして僕の名前、知ってるの?」
「文学部の越田君とよく一緒にいるのを見かけてたから。 私、越田さんと同じゼミだし、
 だから………」
「あ、ああ」
間抜けな奥村は、一応男としての礼儀を果たそうとしているのか、宣子の方に手をかけて
いた両手に力を入れ、恐る恐るという感じで引き寄せた。
が、経験不足で、ほとんどがんじがらめという感じで、宣子は息が詰まったような声を出
した。
「越田君と親しいんですか?」
かわすように質問ではぐらかすところが手練れである。
「あ、ああ、少し」
奥村もかぐらかされて間抜けな声を出す。
「古くから?」
「ああ、ああ」
奥村は声が耳に入らないみたいに、今度は宣子のあごを上げさせて唇を重ねようとしている。
僕もまだ触れていない唇にっ!
あわやっ、と思ったところで、宣子はさっと身をかわした。
さすが手練れ。
「ごめんなさい。 恥ずかしいの。 もう少し、お話をしてから……。 一時的な感情じ
 ゃなくて、本当に解り合えてから……。 お願い」
名文句である。
これもまた常套文句ではあるが。
このセリフで男は触れる事も出来ないまま虜になってしまうのだ。
「あ、ああ」
奥村も紳士をきどらなくてはならなくなり、立ち尽くすしかない。
情けない表情で。
「座って。 ドライヤーで乾かすから」
一難かわした宣子は今度は奥村と並んで座り、シャツを乾かし始めた。
しかし攻撃は終わらない。
そこでまた脚を組んで、ミニスカートから太股を出し、奥村の目を釘付けにした。
「越田君、来なくなったんです。 あの日から」
「え? ああ」
「集会の時に、なんだか事故があったみたいで。 演台から人を突き落としたとか、ピアノ
 を落として人に怪我をさせたとかで。 それ以来こないから、なんだか心配なんです」
宣子は用心して、超人的な力のところは外している。
「そ、そう……」
「奥村さんは越田君と親しかったんでしょ?」
「……まあ」
「越田君、今どうしているか知ってます? あの、私の友人で越田君の事を好きだって子
 がいて、その子がすごく心配してたから」
「……いや、知らないんだけど」
奥村はちょっとためらって、困惑したような声で言った。
僕からは横顔しか見えないので、微妙な表情の変化は読みとれなかったのだが。
「やだ、やっぱり薄く残ってる」
「いいよ、いいから」
「でも………」
宣子はシャツのその部分を見せながら、さらに奥村に身を寄せた。
奥村はしょうこりもなく、また宣子の肩に手をかけた」
「あ、あの、君、名前、まだ聞いてなかったけど」
「宣子。 山崎宣子です」
「や、山崎君か……」
「宣子って呼んで」
「あ、ああ」
真顔で応える奥村が馬鹿に見えてしかたがない。
「奥村君とはどうしてお友達なの? 学部が違うのに」
「六道記念館の保存派集会で知り合ったんだ。 同じ考え方持ってたから気があって」
「私もやっぱりあの記念館残してほしいと思ってます。 好きだし」
「いい建物だからね。 あれを壊して新しい記念館建てようなんて、学長のの名前を残
 したいための自己顕示欲以外の何物でもないよ。 個人の売名行為のために建築史に
 残る名建築を壊してしまうなんて許せないね」
「私もそう思う。 越田君ともそんな話をしていたんですか?」
「うん、保存派のたまり場みたいなところがあって、そこでみんなと話をしてる」
「越田君もよく行ってたの?」
「ああ、ちょっと大学から離れたところなんだけど、保存派以外の連中は知らない」
「隠れ家?」
「そんな大層なものじゃないけど、この間みたいに暴力で邪魔をする連中がいるからね。
 取り壊し派の連中ってのは自分達では何の意志も思想も持たないで一部の指導者の言う
 がままに動いている低脳な兵隊の寄り集まりにすぎないんだ。 だから命じられれば何
 でもする。 そんな連中に僕達のたまり場を知られたくないから」
「そうね、この間の集会もひどかったらしいし。 でも、そんな保存派の人達の集まって
 いるところって興味ある。 行ってみたいな」
「も、もし、良ければ、つ、連れていくけど」
奥村にしてみれば、デートの約束を取り付けたみたいな気持ちでうわずったのだろう。
「行きたい。 どこなんですか?」
「吉祥寺にある遊声堂ってところ」
「何屋さん?」
「ミルクホール」
「ミルクホール?」
「昔ふうのカフェだよ。 レトロな喫茶店ってところ」
「そこ、越田君もよく行ってたの?」
「うん、まあ」
「そこへ行けば、いつも奥村さんとも会える?」
「……あ、ああ」
奥村は宣子の肩にまわした手に力を入れ、さらに抱き寄せた。
完全に自分は宣子に惚れられたって思いこみに入っている。
こうなったら宣子に操られるままの木偶の坊である。
奥村は再び宣子に顔を近づけるが、宣子はさらりとそれをかわして、
「越田君、どこか身体の具合が悪かったみたいなの」
と、話題もかわした。
「え? どうして?」
急に話題が変わったので気勢をそがれたのか、奥村は近づけた顔を離した。
「よく薬飲んでたから」
「…………」
「それが変な薬だったの。 何も書いてないアンプルに入ってて、飲むといつも身体が
 熱っぽくなったみたいだし、手足が震えたりするの」
「……君。 それ、見たの?」
「ええ、学食で一緒に食事するし。 その時に飲んでたから」
「…………」
宣子に悟られない位置で奥村の顔が強ばった。
やはりあの薬に関係している。
「それに、時々、身体中がひきつるように痛くなるって言ってた。 あれ、何かの病気
 なの? 奥村さん、越田君から何か聞きませんでした? 医学部の人の目から見て、
 越田君、何か病気だったなんて思いませんでした?」
「…………」
宣子はちょっと質問を急ぎすぎている。
ここぞと畳みかけようとしているのかもしれないが、質問を重ねていく時には相手の顔
色を見て、その反応を窺いながら詰めないとだめだ。
宣子は奥村の顔を見ていない。
「君、それ、越田の口から聞いたの?」
奥村は宣子から身体を離して言った。
「ええ、だって、友達だし。 私で気が付いたんだから、奥村さんならもっと気が付い
 たかなと思って」
「……そこまで親しいつき合いじゃないから」
警戒されたか。
「あ、余計な事言っちゃった。 私、まだ奥村さんの事よく知らないから、だから、つ
 い知っている人の事で間を持たせようとしたのよね。 ごめんなさい」
宣子も奥村の警戒に気が付いて、雰囲気を戻そうとしている。
だが、奥村からはすでに恋のオーラは消えていた。
「医学部には保存派の人が多いって聞いたんですけど、そうなんですか?」
宣子はまたペースを掴もうと、話題を戻した。
「え? ああ、それは……医学部の野上教授が保存派の首長みたいな人だから、それで」
「野上教授って教授会の会長じゃない?」
「そう。 そもそも学長が記念館取り壊し案を出した時、真っ先に反対したのが野上教授
 で、その影響で教授会のほとんどの人が保存派になってしまったんだ。 だから保存派
 と取り壊し派は事実上の教授会と理事会との対立になっている。 いかに学長に権限が
 あっても大学の学部を支えている教授会を無視出来ないからね」
「だからいつまでも決着が付かないのね」
「学生の間でもっと保存運動を大きくして理事会に圧力をかけないとだめだね」
「野上教授は何科の教授なの?」 また質問が飛躍している。
焦るな。
「形成外科」
「奥村さんは?」
「形成外科」
「それで奥村さんは熱心なんだ」
「そういう訳でもないんだけどね。 やっぱり六道記念館は昔から憧れだったし」
「私もっ。 ……あの、素朴な質問してもいい?」
「え? ああ」
「形成外科って美容整形するところ?」
「よくそう言われるんだけど、それし成形外科って言うんだ、 形成外科っていうのは
 骨とか神経とかを扱うところ。 骨折や脊髄の病気や生涯を治療するところ」
「へえーー、知らなかった。 なんか、恥ずかしい」
「一般によく思われてる事だから、恥ずかしがる事ないよ」
「やっぱり外科だから、メス持って手術とかするの?」
「そりゃ、それもあるけど」
「お薬で治療したいはしないの?」
「もちろんそれもするけど。 やっぱり手術がメインになるね。 どうして?」
「また越田君の話だけど、越田君の飲んでた薬、市販されてねものじゃなかったみたい
 だから。 越田君、具合が悪いのを奥村さんに相談して、それで奥村さんが薬上げて
 たのかな、って思ったから。 それで」
「…………」
奥村は宣子から身体を離した。
「……君、もう一度聞くけど。 それ、本当に見たの?」
「え? どうして? あの、それは……やっぱり同じ学部じゃない。 いつも一緒にい
 るし……」
宣子の顔に動揺が出た。
奥村は宣子の話の中に違和感を感じ取ったんだ。
宣子の手から、まだ乾いていないシャツをひったくって立ち上がった。
「あ、どうしたの? 私、なにか悪い事言った?」
「……いや、なんでもない。 授業に行かなくちゃ」
奥村の顔はまた元の神経質そうなものに戻っている。
そそくさとシャツを着ているところに宣子がまたしなだれかかったが、もう通じない。
魂胆を読みとられてしまったのだ。
「奥村さん……?」
「僕は越田の事は何も知らないし、何処へ行ったのかも知らない。 ただ保守派で同じ
 活動をしているにすぎない。 それじゃ」
奥村は冷たく言い切って部室を出て行った。
宣子は追いかける間もなく、突っ立ち、その場に残された。

「ばーーーか」
僕と中浜はブラインドを上げて窓から入った。
「なによっ、ちゃんとやってたじゃない」
「質問を焦りすぎてたね。 最初に越田の事を切り出したところから態度に変化が出て
 いたんだから、あそこは間をおくべきだった」
「言葉は選んでたつもりだったけど……」
「色気で捉えたつもりだったけど、まだ甘かったみたいだし」
「そんなに色気ない? 私」
「そうじゃなくて、やらせずぶったくりじゃ男も警戒するからね」
「何よ、それ?」
「キスさせかけてさせなかっただろ。 あれじゃ男は生殺し。 没頭しないよ」
「だって………したら良かった訳?」
宣子は僕の目を見て言った。
ちょっと恨みがましく、そんな事したらあなたが嫌なんじゃないの、と言っている目で。
こういう目をされると男の気持ちはぐらつくのだが。
まだ僕は宣子の恋人でもなんでもないのだから、情報の為にはそのくらいすべきだと言
いたいところではあるが、僕自身、宣子に惹かれているところもあるものだから、そん
な事は口が裂けても言えない。
「……してほしくないさ」
「でしょ。 だったら、あれが精一杯なの」
宣子はすねるような顔でまた椅子に腰を下ろした。
またミニスカートの脚が強調される。
僕をぐらつかせてどうする。
「奥村はなんでこちらの魂胆に気が付いたんやろ?」
中浜は宣子の色気など目に入っていないように考えている。
「越田の話を切りだしたところまでは良かったんやけど、薬の話をしたとたんに態度が
 変わりよったな」
「やっぱり越田君が飲んでた薬の事を知っているんだね。 奥村さん自信が調合したか
 渡したか」
「いや、そうやのうて。 ほら、『君、本当にそれを見たの?』て言いよったやろ。 
 あれは、『君はそんなものを見るはずが無いんだぜ』って意味やと思うな」
「?」
「きっと奥村は越田が絶対に人目につくところで薬なんと飲んでないって信じてるんや。
 そやから君の前で越田が薬なんか飲むはずがないって」
さすがに中浜はよく見ている。
言われてみれば、その通りだ。
あれは確信のある言い方だった。
「でも、山本さんって人は見たんでしょ?」
「広都大関係者の前では飲むなって言われてたんかもしれん。 山本えい子は大学の外
 での恋人やろ。 そこまでは制限してなかったという事か」
「だから奥村は宣子が嘘をついているのを見破った。 しかも山本えい子と接触してる
 ってとこまだ見破られたな、あれでは。 越田の事でさぐりを入れているという事も」
失敗だった。
相手をさぐるつもりが反対にこちらの手の内を読まれてしまった。
宣子に喋らせる内容をもっと吟味しておくべきだった。
「ごめんね、頑張ったつもりだったんだけど」
宣子もミスを自覚したのか、しおらしくなっている。
こういう時は結構可愛いのだが。
「収穫もあったさ」
「何?」
「保存派の溜まり場」
「吉祥寺のミルクホール」
「そこで越田の情報が拾えるかもしれない」
「でも、奥村さんが警戒すると思うわ」
「まだ取り戻せると思うんだ。 薬の事は事実なんだし、僕とえい子が友達なのは本当
 なんだから、友達から聞いた事だって押し通せばまだいける。 それに、一応宣子は
 保存派なんだし」
「……そうかなあ」
宣子は自信なさそうに言った。
さっきの失敗が自信を喪失させている。
「行ってみる価値はありそうやな。 まだ奥村には聞きたい事もあるし。 それでも喋
 らんかつたら、今度は締め上げよう」
中浜も物騒な事を言う。
関西人の喋り方は本気なのか冗談なのか判らないところがあるから怖い。
「あと、どんな事聞くの?」
「さっき野上教授の話が出たやろ。 あの人が壱岐教授が辞めた後の臨床神経学研の所
 長や」
「ほーお、ますますつながってくるな。 奥村もそこの実習生なんだろ」
「そのへんの関係図をもう少し詳しく知りたいしな」
「とにかく一度行ってみよう。 もう一度色気で迫ってみるか」
「今度は泣き落としでやってみる」
男が女を誘惑するのは大変だ。
しかし、その逆は簡単である。
何故なら男には下心があり、女には策略があるからだ。
宣子も策略家であるようだ。
「しかし、宣子の脚って、やっぱり女の子の脚なんだな。 つい目がいってしまうよ」
「見直した?」
「脚はね」
「もう見せないっ」
宣子は僕達ふたりを部室から追い出し、内側から鍵をかけた。
「着替えるから、覗かないでっ」


BACK NEXT

[超人のインデックスへ戻る]  [SPGフロア案内へ戻る]


憂想堂
E-mail: [email protected]