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〈14〉



吉祥寺の遊声堂は現代風古道具屋の二階にあった。
欧風家具や西洋ドールなどが陳列されているウィンドウ横の階段を上がって行く。
古めかしく磨きこまれた床と黄色くくすんだスタッコ壁の色合いで統一された年期の入った
ミルクホール。
円卓に木の椅子、飴茶色のカウンターバーと洋酒棚。
馴染んだ落ち着きの中に油引き床の匂いが混じっている。
五十年代のブルースが流れる中で、客席のほぼ半分が埋まっていた。

見渡したところ、そのうちの二卓が見たことのある顔、広都大の学生だ。
向こうも気が付いている。
「保存派の人達ね」
「ああ、やっぱり溜まってるんだな」
僕達三人はその連中のすぐそばに座った。
「こんにちわ」
宣子が連中に声をかける。
「は? 君達は?」
「広都大の学生よ。 私とこの人は国文で、彼は医学部。 あなたたちは六道記念館保存派
 の人達でしょ」
連中は一瞬狐につままれたような顔になって、お互いに顔を見合わせた。
「どうして知ってる?」
メガネをかけ、エラの張った男が言った。
「医学部の奥村さんに教えてもらったんです。 私達もどちらかといえば保存派だし、支持
 してるし。 そんな話を奥村さんとしていたら、ここを教えてくれて」
宣子はいけしゃあしゃあと嘘をつく。
僕なんかがこんな嘘を言えば顔に出てすぐにばれてしまうのだが。
「奥村に?」
「そう。 ここ、いいお店ね。 レトロで落ち着くね」
宣子は相手の疑惑の目を外して店内を見渡した。
こういうところもしたたかである。
エプロン姿の女給がやって来て注文を取る。
僕達はビールを頼んだ。 「このお店、越田さんもよく来ていたんですか?」
「越田? どうして?」
「私、越田さんと同じ学部だし、お友達だし、こちらの、御堂君って言うんだけど、御堂は
 高校時代から越田さんと友達なの。 私達、このあいだの集会に越田さんから誘われて行
 ったんだけど、あんな騒ぎになっちゃって。 それに越田さんいなくなっちゃったし、私
 達心配しているんです。 奥村さんにそう言ったら、越田さん、このお店によく来ていた
 って言ってくれて、だから、ここに来たら越田さんに会えるかなと思って」
この言葉は表面上は全て真実だ。
一芝居打っての結果ではあるのだけれど。
「前はよく来てたけどな。 やっぱり警察に追われてるし、人前には出てこれないだろ」
宣子の言葉を真に受けたらしく、エラメガネが言った。
「取り壊し派の人に怪我をさせたから?」
「もちろんそうだし、君達もあの集会に出ていたのなら、見たろ」
「……グランドピアノを持ち上げた」
「そうだ。 見ての通り、あの力は驚異的だった。 体育会の連中に怪我をさせたのが鉄パ
 イプや金属バットでなら、たかが傷害だから、いくら暇な警察でもあんなに追い回したり
 しないだろ。 あれはあの力の秘密を探ろうとして、しつこく追い回しているんだ」
「どうして?」
それは僕達にも判っている事だったが、宣子はとぼけて聞き返す。
「お上が欲しがっているんだろ。 国があの力を手に入れれば、あらゆる国策に利用出来る
 からだ」
「でも、あれは越田さん固有のものかもしれないでしょ。 特異体質だとか」
「いや、以前からつき合っている僕達には判る。 越田にはそんな資質は無かった。 君、
 御堂君って言ったね。 君は高校時代から越田を知っているんなら、判るだろ?」
「そうだね、越田にはあんな力を出す資質は無かった」
「じゃ、あの力はどういう事? あなたたち、何か知ってる?」
「知ってるくらいなら、僕らもあの力を手に入れて取り壊し派を排斥しているさ」
保存派には文系が多いのに対し、取り壊し派はほとんど体育会系だ。
まともな力の競り合いではかなわない。
あの力が手に入るなら真っ先に欲しがるだろう。
「何か、怪力が出るような薬でも飲んでいたのかな?」
「手塚治虫の漫画に“ビッグX”っていうのがあったな」
中浜がいきなり漫画の話を出したが、誰も笑わなかった。
それほど非現実的な見え方をしているのだ。
「さあ、どうかな? そんな薬があるなら僕らも飲んでみたいよ」
エラメガネの隣の男が顔半分で笑いながら言った。
「薬って言えばさ、ドーピングってあるじゃない。 スポーツ選手が使っていたりするの。
 あんな感じで使ってたんじゃない?」
「……どうかな。 いくらドーピングでもあそこまで力を出せるとは思わないね」
「じゃ何?」
「ドーピングで思い出したんやけど、ほんの三、四年前に、ドーピングで超人的な記録を
 出したマラソン選手がおったな」
中浜がとぼけて東口選手の話を出した。
「僕が入学する前やから詳しくは判らんのやけど、なんでも当時の医学部の教授が調合し
 た薬をその選手に投与したところ、超人的なスピードで42.195キロを走り抜いたそうや。
 もしかして、それと同じ薬を越田は飲んだのと違うやろか」
「その話は僕の聞いた事がある。 だけど、その教授はもう広都大を辞めているし、越田
 とのつながりがあるとも思えないな」
「その教授との直接のつながりは無くっても、その教え子が研究を引き継いでいるとも考
 えられるでしょ。 例えば奥村さんとか」
「……あんたら、奥村を探りに来たのか?」
急にエラメガネの顔が険しくなった。
どうも何か警戒しているところがあるような気がする。
「私達は越田さんの事を心配してるのっ。 越田さんの力なんて関係無いわよ。 越田さ
 んが警察に捕まったりするの嫌だから、何とか助けてあげれないかと思ってるのよ。
 だから、いろいろ聞いていて……。 それを、探っているなんてひどいわ」
宣子が居直った。
女がこういう態度をとると男は弱い。
「い、いや、それなら、いいんだが……」
エラメガネも困惑した表情になる。
中浜がうつむいて笑いをこらえている。
「その時の選手、確か東口っていったけど、今でも神宮外苑を走ってるよ」
それまで黙っていた保存派の中のひとりが言った。
「今でも走ってる? 外苑を?」
「確か陸連を永久追放されたんと違うたかな」
「そのへんの事情は僕も知らないんだけどさ、この間、たまたま朝早くにカメラマンの機材
 運びのバイトで外苑に行ったら、走ってた。 四年前話題になった時に新聞で顔を見てい
 たから憶えてたんだ。 今でもかなりのスピードで走ってる」
今でもかなりのスピードで走っているという事は、陸連を追放されてからも走り続けていた
という事か?
永久追放という事は、もう二度と公式戦には出れないという事だ。
一流と言われた選手が檜舞台を追われると、大抵それまでの意欲を失って現役の力を維持す
るのは難しいと聞くが。
「朝早くに?」
「あれは朝六時くらいだったと思うけど」
例え薬の力を借りてでも掴みたかった栄光を今でも忘れられないでいるのか?
僕は腕組みして天井を見上げた。
これまたレトロなブラケットライトが天井から吊り下がっていた。
僕は運ばれたままでまだ手を着けていないビールをグラスにそそぎ、飲んだ。
宣子は中浜のグラスにつぎ、自分のにもついで、一息に飲み干す。
それを見ている僕の視覚の片隅に、店に入って着た女性の姿が入った。
「あれ?」
今入ってきた女性。
一見OL風。
あれは……。
「御堂。 知ってる人?」
宣子は僕の視線が女性を追いかけていたのに気付き、睨むように言った。
「……うん、高校時代の友達」
山本えい子だ。
「越田の彼女」
「え−−−」
中浜も驚いて振り返った。
えい子はそんな僕達に気が付き、驚いた顔でこちらにやって来た。
「御堂君、どうしてぇ?」
「君こそ………よく来るのか?」
「うん……たまに」
「越田と?」
「……うん、まあ」
えい子は、なんだか隠し事がばれた時のようなばつの悪い顔で答えた。
「よかったら、ここに座らない?」
「じゃ」
えい子は隣の席の保存派の連中に軽く会釈をしてから座った。
越田を通じて顔見知りなのだ。
「お友達?」
「うん、大学の。 こちらが中浜。 彼女が山崎さん」
「山本です。 御堂君の高校時代の同級生です」
「越田さんともお友達?」
「そう……だったんだけど」
「だった?」
「最近全然会ってないから」
「ここへはひとりで? 誰かと待ち合わせ?」
僕はある期待を持って聞いたのだけれど、
「うん、たまに飲みたくなるとこの店に来るの。 ひとりでも来やすい店だし」
と、あっさり答えた。
越田との待ち合わせではなかったみたいだ。
「あれ以来、越田から連絡ない?」
「全然。 もう私達の仲は終わりなのかなあ」
「あっさり言うね」
「これだけ無視されるとね」
えい子は少しむくれた顔をしたけれど、本心って感じじゃない。
えい子はビールを注文して、飲んだ。
「御堂君達は? 今まで見かけた事なかったけど」
「初めて来たんだよ」
「この店知ってたの?」
「越田がよく来ていた店だって聞いたから。 もしかしたら越田に会えるんじゃないかと思
 って来たんだけど。 まさか君に会うとはね」
「私もよ」
僕はえい子にもう一度越田の飲んでいた薬について聞きたかったけど、隣のテーブルの連中
に聞かれたくなかったから、やめた。
「えい子は吉祥寺にはよく来るの?」
「私の家は三鷹だからね」
そうだった。
わざわざじゃないんだ。
「通勤、大変だろ」
「そりゃもう。 でも慣れちゃうのよね、哀しいかな」
「おつとめですか?」
宣子が聞いた。
「ディスプレイ会社に勤めてるの」
「ショッピングセンターや百貨店の企画設計やってるって」
「あれ? なんて会社? 私のお兄ちゃんも同業よ」
宣子はもしかしてって感じで聞いた。 「蟻村工芸社っていうんだけど」
「やっぱり。 お兄ちゃんの勤めてる会社だ」
「えーーーっ」
えい子は大層に驚いたような声を出した。
宣子の兄さんがそんな関係の仕事をしてるなんて知らなかった。
いや、それだけじゃなくて、僕は宣子の事をまだほとんどっていうほど知らない。
この間、お父さんが新聞記者だって事は聞いたけど、それ以外の家族構成も本人の趣味も血
液型も知らない。
つき合っているはずの彼氏はどうなっているのかも。 「山崎さんって、もしかしたら山崎隆則さん?」
「知ってます?」
「もちろん。 私の上司だもの。 同じ企画設計室のスタッフよ」
「へーーえ、奇遇なんだ」 「へーーえ、山崎さんの妹さん。 似てないね、きれいね」
「よく言われます」
共通の話題を持った女性同士は勝手に話が盛り上がるのだ。
しかし、こんな奇遇ってあるものなんだ。
人間、どこでつながっているか判らない。
「お兄さんも広都大卒でしょ。 兄妹揃って広都大だなんてすごいなあ」
「ども」
「御堂君と同じ国文?」
「そうです」
「お兄さんも同じよね」
「別に兄の後を追いかけてる訳じゃないんですけどね。 山本さんは越田さんとはつき合い
 長いんですか?」
「高校の時からだから、けっこう、ね」
「ここへはよく二人で来ていたんですか?」
「よくってほどじゃないけど、そこそこに」
「うちの大学に六道記念館ってあるの、知ってます?」
「うん、知ってる。 越田君が言ってた。 取り壊し案が出ているって」
「このお店。 その記念館の殿壊しに反対している人達の溜まり場だって知ってました?」
「ええ、よくみんなで話をしてるの聞いてたから。 私は六道記念館って実物を見た事ない
 けど、話を聞いてるとやっぱり壊すべきじゃないなって思った。 山崎さんも同じ事言っ
 てたし」
「兄貴が?」
「会社でもよく話題に出るよ」
「ふーーーん、兄貴のやつ、家じゃそんな事全然言わないのに」
「私達は仕事の内容上、建築物に関わっているから、だからよく話に出るのよ」
「私だって広都大当事者なのに」
宣子にしてみれば兄貴にのけ者にされたみたいで面白くないのだろう。
むくれた顔をした。
「兄さんってそんなものよ。 私にも兄さんがいるけど、家じゃあまり喋らないもの。 会
 社でどんな仕事してるかも知らないもの」
「うちの兄貴は結構喋るんだけどな。 仕事の内容だってよく知ってるよ。 展示館やパビ
 リオンの展示企画やったり商業施設の企画や設計やったり、ディスプレイ関係の造形物の
 企画やデザインをしたりしてる。 でしょ?」
「そう。 よく知ってるね。 大衆に支持される空間を作ったり、疑似空間を作ったりする
 仕事なんだけどね」
「私があまり大学の事離さないからかな?」
「そうなんじゃない」
女同士っていうのは初対面でも話題をどんどん作っていくものなのだ。
僕と中浜は忘れ去られている。
と、いきなり。
「御堂。 一案があるんやけどな」
唖然とふたりを見ている僕の袖を横から引っ張って中浜が言った。
「なんだ?」
「耳を貸せ」
中浜は隣の連中に聞かれたくないからか、そちらに聞こえないように僕の耳元でささやいた。
「……うん、うん、………なかなか面白いけど、もしかしてその効力が恒久的なもので、今で
 も継続していたとしたら、どうする?」
「危険な賭かもしれんけど、試してみるのも面白い」
「……やるか」
「ああ」
僕と中浜は、にやりと笑みを交わし、ビールを空けた。
そして、おしゃべりに夢中になっている横のふたりは放っておいて、さらにビールを注文した。


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憂想堂
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